今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「自分の好きな食事を造ること、自分の体につけるものを清潔(きれい)にしておくこと、下手なお洒落をすること、自分のいる部屋を、厳密に選んだもので飾ること、楽しい空想の為に歩くこと、何かを観ること」
--森茉莉
森茉莉は文豪・森鴎外の長女。明治36年(1903)東京に生まれた。54歳のとき、亡き父にまつわる回想を綴った『父の帽子』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、遅い作家生活に入る。以降、『贅沢貧乏』『薔薇くい姫』『恋人たちの森』といった独得の味わいの作品をものした。
もともとが、箸や茶碗より重いものを持ったことがないお嬢様育ち。それが2度の結婚と離婚を経て、特異な美意識に裏付けられた精神的贅沢を追い求める独身生活に入った。
住まうは、東京・下北沢の6畳ひと間の古びた部屋。これを「アパルトマン」というちょっと優雅な香りのするフランス語に包み込み、部屋の中を気に入りの調度品で満たした。
といっても、けっして高価な調度品ではない。目につくのは進駐軍の払い下げの薄汚れたベッドや、古びた銅版画のような色をした金属製のスタンド。だが、それらは正しくそれらでなければならず、他のものには置き換えられなかった。食器類はもちろん、鉛筆1本、空き瓶ひとつでも、自分の嗜好で選び抜いた。
掲出のことばは、随筆『贅沢貧乏』の中に記されたもの。この6つのことが、森茉莉の暮らしのほとんどすべてだったという。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。