今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人が一ぺんでできることを、私は百ぺんする。そうすれば、出来の悪い私でも人並みになれる。ほかの人に出来て、私に出来ないことはない」
--田口八重
田口八重さんは明治42年(1909)、岐阜県中津川の生まれ。結婚・離婚を経て、28歳で京都の老舗旅館「柊家(ひいらぎや)」の仲居となった。以降、60余年にわたる仲居生活を送り、仲居頭、女将代理を歴任。91歳の折に『おこしやす』と題する著書を刊行し話題となった。
上に挙げたのは、その著書よりのことば。さらに、つづけて、八重さんはこう綴る。
「ですから、難しいことにぶつかればぶつかるほど、とことんやる……。私が柊家という学校で学んだ大切なことのひとつです」
少女時代、貧しい暮らしの中でも、母親の躾けは行き届いていた。
「この子には何も残せないけれど、せめて行儀作法だけでも」と、お茶、お花、挨拶の礼儀、掃除の仕方などを仕込んでくれた。それ
が、小学校しか出ていない八重さんの、唯一の財産だったという。
それでも、文政元年(1818)創業、「来者如帰(来たる者、帰るが如し)」をモットーとする京の老舗旅館では、まだまだ足りず、身につけなければいけないことがある。それを自分自身、徹底してやり抜いたという体験を語るのである。
たとえば、お座敷でお客さんにお茶を運ぶときの動作。間違っても、畳のへりに足指の爪先なりとかけぬよう、休憩時間に練習を繰り返して体に覚え込ませる。しまいには、目をつむっていても、畳のへりを踏まずにお座敷の中を歩けるようになったという。惜しまず努力を重ねる姿に、頭が下がる。
柊家には、川端康成、三島由紀夫、林芙美子、チャップリンらも宿泊し、八重さんはその接客に当たったという。私も何度か訪れ宿泊したことがあるが、気持ちのいい宿である。
まだ八重さんが生まれる以前、明治25年(1892)には、若き日の夏目漱石と正岡子規も連れ立ってこの宿に宿泊している。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。