文/濱田浩一郎

『絵本太閤記』に描かれた秀長
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で主人公の羽柴秀長を演じるのは、俳優の仲野太賀さんです。秀吉の弟である秀長については関連史料が少なく、これまで研究などで論じられることはあまりありませんでした。江戸時代に成立したと推測される史料(例えば『武功夜話』)には秀長が度々登場することはあるのですが、その中でも今回は『絵本太閤記』に記述された秀長について見ていこうと思います。
『絵本太閤記』というのは江戸時代の中期に書かれた絵入りの読本(小説の一種)です。『太閤記』との書名から分かるように、秀長の兄・秀吉の生涯を描いたものであります。先ほど「小説」と書きましたように、史実に基づいたものではなく、創作も多いです。ところが同書は、秀吉の生涯を題材にしたということで、徳川幕府の禁忌(タブー)に触れ、文化元年(1804)に江戸で絶板となってしまいます。
さて、ではその『絵本太閤記』に秀長はどのように描かれているのでしょうか。同書で秀長が初めて登場するのは、織田信長が美濃斎藤氏の居城・稲葉山城を攻めた時(同書では永禄7年=1564年)のことです。信長による稲葉山城攻めの先陣は柴田勝家でしたが、その「九番」に木下藤吉郎(秀吉)の名があります。織田軍は城に猛攻を加えますが、敵方も必死であり、矢石を飛ばし、鉄砲を放ち抗戦してきます。それにより、織田軍の死傷者は数知れずという有様となるのです。容易に稲葉山城は落城しそうにありません。
この苦境を見た秀吉は力攻めでは城は落ちないことを悟ります。そして城周辺の地理をよく観察することにしたのです。すると城の背後には高い山があることが分かり、秀吉は一計を案じます。
そうした文章の後に秀長が登場するのです。ちなみに同書では秀長は「小市郎」(小一郎)とよく表記されています。秀吉は「己が攻口を舎弟小市郎に託し置き」というのが同書における秀長の初登場。秀吉は弟の秀長に自分が担っていた攻め口を任せ、自らは蜂須賀小六やその弟・又十郎、稲田大炊、青山新介などごく少数の供を連れ、間道を経て城の搦手(背後)に回ろうとします。
木の根に取り付き、岩を伝い「猿の如く」身軽に移動する秀吉。休息した場所で堀尾茂助という少年と出会った秀吉は彼に道案内をさせ、稲葉山の絶頂に進むことになります。茂助の案内により、迷うことなくそこに到達した秀吉主従は、敵城を眼下に見下ろす場所まで来ます。搦手は要害ということもあり、敵兵の警備もなし。「藤吉の推量に」違わずとありますので、秀吉はその事を見越して、搦手までやって来たのです。
豊臣兄弟の見事な連携プレイとは?
城中に侵入した秀吉主従は、寝ている敵方の雑兵らを切り殺し、その雑兵の着ていた具足を剥ぎ取ります。そして自分たちが着用するのでした。斎藤方の兵士になりすましたのです。搦手から大手の塀際に回った秀吉らは瓢箪を竹の先に結び付けたものを塀際高く指し出します。これは味方への合図でした。同書には「兼て小市郎を始め、味方の諸軍へ約束を定たれば」とありますので、このことは弟の秀長はじめ味方の軍勢に最初から知らされていたのです。「木下小市郎」は兄・秀吉が掲げた瓢箪を見ると、軍勢6百余騎を率いて塀際に押し寄せます。先に城中に侵入していた味方の手引きにより、水門から城に攻め入ろうとする秀長率いる軍勢。当然、斎藤方は驚いて鉄砲や矢石を飛ばしてきます。
が、秀吉があらかじめ柴薪の中に火を指し入れていたものが大いに燃え上がり、城兵は驚嘆。搦手に敵が侵入したと感じた城兵は水門の守りを緩くし、搦手にも兵を回そうとします。その隙に秀長率いる6百の軍勢が城中に入り、大門を開き、鬨の声を挙げるのでした。
それを合図にして他の織田軍も城中に攻め入り、ついに城主の斎藤龍興は逃亡。稲葉山城は信長の手中に落ちるのでした。先述したように『絵本太閤記』においては、稲葉山城攻めの場面で初めて秀長が登場します。秀吉は弟の秀長に自身の攻め口を任せていたとの記述からは、兄・秀吉の弟・秀長に対する信頼が窺えます。また同書の稲葉山城攻めの記述からは豊臣兄弟の見事な連携プレイにより、城を落城まで追い込んだことが記されていました。
さて美濃を手中にした信長は、武功ある者に恩賞を与えます。もちろん、その中には秀吉も含まれていました。同書には秀吉はこの時、美濃国内に数多の領地を賜ったとあります。更に信長は「今度の瓢箪の相印、面白き趣向である。味方の吉事であるので、この後、この瓢箪を馬印として用いるべし」と秀吉に命じます。秀吉は信長の仰せの通り、瓢箪を馬印として用い、戦功あるごとに小さな瓢を増していくことになります。よってこれを「千生(成)瓢箪」というようになったのでした(『絵本太閤記』)。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











