文/晏生莉衣

「教皇選挙」(コンクラーヴェ)で日本でもよく知られるようになったローマ教皇。これまでのレッスンでは、初代ローマ教皇となった元漁師ペトロと魚にまつわる出来事を題材にしてきましたが、聖書中には魚に関連するエピソードがまだまだあります。

すべての人々が満たされた

なかでもよく知られているのが、次に紹介するパンと魚の奇跡です。

一人静かに祈るために人里離れた場所へと向かったイエスでしたが、大勢の人々が後を追って集まってくると、教えを説き、病んだ人々を癒やして長い時間を過ごしました。やがて日暮れが近づき、弟子たちは、「群衆を解散させてください。そうすれば自分たちで村や里へ食べる物を買いに行くでしょう」とイエスに言います。

しかし、イエスは弟子たちに「あなたがたの手で彼らに食べ物を与えなさい」と命じました。弟子たちが困惑していると、一人の少年が、持っていた大麦パン五つと二匹の魚を差し出します。イエスはこれを受け取って、祈りを唱えながらパンを裂き、魚とともに弟子たちに渡して群衆に配らせると、すべての人々が満腹し、あまったパンのくずを集めると十二個の籠(かご)がいっぱいになりました。

これは新約聖書のすべての福音書に書かれている出来事です。当時、大麦パンは庶民の主食で、干物か塩漬けにした魚と食べるのが慎ましい日常の糧でした。群衆は男性が五千人ほど、女性や子どもを含めれば一万人近くの人々がいて、長時間なにも食べずに空腹をかかえていたはずなのに、イエスの増やしたパンと魚をお腹がいっぱいになるだけ分け与えられ、籠十二個分のあまりも出たという不思議な話です。

イエスはさらに別の機会にも同様の奇跡を行いました。マタイとマルコの福音書に描かれています。

群衆は人里離れたところで三日間もイエスの教えに聞き入り、食べ物はなにも残っていませんでした。およそ四千人の男性がいて、さらに女性や子どももいました。イエスは人々を憐れみ、「空腹で帰らせれば途中で疲れ切ってしまうかもしれない」と弟子たちに言いますが、これほど多くの人々に食べさせるパンをどこで手に入れればいいのかと弟子たちは戸惑うばかり。「パンはいくつあるのか」とイエスがたずねると、七つのパンと少しの小さい魚があることがわかりました。イエスは祈りを唱えてパンを裂き、魚とともに弟子たちに渡して群衆に配らせ、すべての人々が食べて満腹し、残ったパンのくずは籠七個分になりました。

現代の視点で分析してみる

イエスがパンと魚を増やした奇跡は、クリスチャンなら何度も読んだり聞いたりしたことがあるというほど有名なエピソードですので、聖書学的にもさまざまな解釈がされています。しかし、キリスト教になじみのない方からすると、ただの寓話のように聞こえるかもしれません。

そこで、発想力のトレーニングとして、これら奇跡物語を現代的に分析してみましょう。自分にはまったく関係のない不思議な話が、ビジネスにも日常生活にも役立つ現代社会のケーススタディへと変わります。

【問題点】
トラブルの起因は、なにもない人里離れた野で、四千人、五千人の空腹を満たす手立てがないという事態に陥ったことでした。自然災害が発生し、山里で開催された野外コンサートの観客数千人が食料もなく帰宅困難者となってしまった状況と似たようなイメージです。

【問題への対応】
◎ポジティヴ思考
五千人の群衆のケースでは、善意の少年から差し出されたささやかな食料を弟子たちは「これしかない。これだけではどうにもならない」と考えるのですが、ポジティヴシンキングのイエスは「これだけある」と感謝して受け取り、わずかなものを大きく増やすための行動を取りました。四千人の群衆のケースも同様です。

◎システマティックなアプローチ:
パンと魚が増えたとしても、四千人、五千人もの空腹の群衆に配るのに混乱は生じなかったのでしょうか。上記の要約では省かれていますが、イエスはまず、群衆を五十~百人ほどのグループに分けて座らせてから、弟子たちにパンと魚をすべての人々に行き渡るように配らせました。対応は実にシステマティックだったのです。結果的に、群衆が食料を奪い合うようなパニックは起こりませんでした。

◎SDGs:
どちらの奇跡でも、すべての人々の空腹が満たされただけでなく、パンと魚の残りが籠何杯分にもなったとあります。キリスト教的には、神からはあまりある恵みが与えられるという解釈がされますが、現代社会にも通じる注目点は、イエスが、少しでも無駄にならないように残ったパンのくずを集めるように弟子たちに言って集めさせたことです。その時代にフードロスという概念があったかどうかわかりませんが、イエスにとって、パンくずであっても食べ物を粗末にしないことは、神から与えられた恵みを深く感謝することと同義だったのです。

マインドセットを掘り下げる

次に、別の要素を取り入れてみましょう。近年の流行語にもなっているエンパシー(empathy)とコンパッション(compassion)をエッセンスとして、これらの奇跡物語を考察します。

これらのカタカナ用語がわかりにくいという方向けに簡単に説明を加えると、エンパシーは共感や共感力。他者の立場になって理解することやそうできる能力のことです。コンパッションは慈悲、憐れみ、同情心といった古典的な訳に加え、思いやり、優しさという訳が用いられています。さらにセルフコンパッション(self-compassion)ということもよく言われるようになりましたが、これは、元々は自分への思いやりという心理学の概念です。

奇跡物語の登場人物のマインドセットをこれらの要素を用いて整理してみると、奇跡のみに注目するのではなく、なぜ奇跡が起こされたのか、当時の人々の情緒的な側面からより深く思索することができます。

☆イエスの弟子たち
五千人の群衆のケースでは、弟子たちは、群衆はお腹をすかせているだろうし、そのままでは困るだろうと群衆の身になって考え、どうにかしてあげなければと、群衆を解散させるようイエスに進言しました。他者へのエンパシーが問題解決の提案というコンパッションの行いに結びついた好例です。

☆少年
同じ五千人のケースでは、一人の少年がわずかなパンと魚を差し出しました。少年にとっても大切な食料ですから、隠し持っていることも、全部ではなく少しだけ差し出すことも選択肢としてあったはずですが、皆の役に立ちたい、困っている人々を助けたいと、まっすぐな思いで持っていたものをすべて提供したのです。エンパシーやコンパッションはもちろんですが、純粋な献身、隣人愛、利他の心、分かち合いの精神といったヒューマニスティックな価値観や精神性をこの少年は体現してくれました。

☆群衆
当時は、病気や貧困はその人の罪のせいだとする社会風潮がありました。イエスのもとに集まってきた人々の多くは貧しく、あるいは病気を患っている人たちでしたが、社会から負わされた罪で自分を責め続けるのではなく、苦しみから解放されることを切に願うセルフコンパッションを原動力に、イエスの救いを求めてひたすら歩いたのです。

そして、イエスの教えや癒やしでセルフコンパッションの欲求が満たされたことで、自分と同じく他の人たちも空腹なのだというエンパシーも自然と湧いてきたのではないでしょうか。弟子たちが何千もの人々にスムーズにパンと魚を配ることができた要因として、多くの人々が、我先にではなく、お先にどうぞというような気持ちでいたことが助けとなったのかもしれません。

☆イエス
五千人のケースでは、イエスは誰もいない土地に退いて静かに祈ろうとしたのですが、いつものように群衆が集まってきました。これでは一人で祈る時間も休む暇もありません。祈りの邪魔になると追い返すこともできたはずですが、イエスはむしろ、飼い主のない羊のような様子の群衆を見て深く憐れみ、迎え入れて、人々の心身を癒やし続けました。

四千人のケースでは、イエスは「群衆がかわいそうだ。三日も自分といっしょにいるのに、食べ物がない」とエンパシーをはっきりと言葉にし、群衆の空腹を満たすために、再びパンと魚を増やす奇跡を起こしました。

新約聖書の福音書には、今回紹介したパンと魚を増やすこれらの奇跡を含め、イエスが社会的弱者を深く憐れむ場面が各所に描かれていますが、それに続くイエスのさまざまな業(わざ)はコンパッションの実践と表現できるでしょう。

ただし、一つ留意点があります。イエスのコンパッションとは、ワークショップで育成するようなコンパッションとは異次元のもの。キリスト教の教義でもっとも重要な「神の愛」です。奇跡物語の理解が表面的になり過ぎないためにも、本質的な違いはよく認識される必要があります。

二つの奇跡に隠されたメッセージ

聖書ってはるか大昔に書かれた難解でレトロな説教集では? そんなふうに決めつけないで読んでみると、苦しみ、悲しみ、不安、喜び、愛情、幸福感といった人間の心の問題や、貧困、飢餓、病、抑圧、差別といった社会問題など、時代を超えて今の私たちにも共通する根本的なテーマや課題が示されているという気づきにつながるでしょう。

それにしても、五千人の群衆と四千人の群衆にパンと魚を分け与える奇跡はどちらも大変似通った内容です。聖書にはなぜこれらの同じような奇跡が繰り返し書かれているのでしょうか。

その疑問に答えるために聖書をさらにひもとくと、これら二つの奇跡はどちらもガリラヤ湖周辺で起こった出来事ですが、前者は弟子のペトロやアンデレの故郷でもあるユダヤの地で起こされたのに対し、後者はギリシャ、シリア、ローマといった多神教的なバックグラウンドを持つ人々が住む異邦人の地が舞台でした。その土地柄、後者では群衆のほとんどが異邦人だったと考えられます。

また、詳細は割愛しますが、それぞれの奇跡の中で使われている数字が民族を象徴しているという説や、どちらにも出てくる「籠」について、ギリシャ語の原文では違う単語が文化的に使い分けられているという指摘があることも、それぞれの奇跡の恩恵にあずかったのがきわめて異なる人々だったとする解釈の根拠となっています。

これらのことから、二つの類似した奇跡物語の重複と対比には、イエスの恵みはよそから来て人種も文化も違う、信じる神さえ異なる人々にも分け隔てなく与えられるという啓示がある ―― そうした解釈がされています。神の恵みは人類普遍のもの、というメッセージです。

「恵み」という言葉をキリスト教にとらわれない文脈で考えてみる。あるいは、別の言葉に置き換えてみる。レッスンのまとめのエクササイズとして取り組んでみてください。私たちの生きる社会への問いかけになるかもしれません。

<注> 出典:日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』

文/晏生莉衣(あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちらこちらで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関する指導、コンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。著書に、日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』や、その続編でメジュゴリエの超自然現象からキリスト教の信仰を問う近著『聖母の平和と我らの戦争』。

 

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