
サライ世代にもなると、血気盛んであった頃からすれば、角も取れて随分と丸くなったように思います。また、人生長く生きていれば、それなりに多くのことを学び、悟ることができたようにも感じます。
しかし、その一方で未だ多くを悟りきれていないことも自覚するものです。若い頃「もっと、勉強すればよかった」と後悔するのは、まだまだ、頭が柔軟な証拠。先人が残してくれた名言や諺から、若かりし頃とは一味も二味も違った学びや悟りが得られるのではないでしょうか?
今回の座右の銘にしたい言葉は「大願成就(たいがんじょうじゅ)」 です。
目次
「大願成就」の意味
「大願成就」の由来
「大願成就」を座右の銘としてスピーチするなら
最後に
「大願成就」の意味
「大願成就」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「大願がかなうこと」とあります。その字の通り「大きな願いが叶うこと」を意味する四字熟語です。
「大願」は、個人的な小さな望みではなく、人生の根幹に関わる重大な願いを指します。例えば、家族の幸せ、社会への貢献、自己実現など、長期間にわたって心に抱き続けてきた崇高な目標のことです。
「成就」は、物事が完成する、目標が達成されるという意味を持ちます。ですから、単に幸運に恵まれて願いが実現するというよりは、長年にわたって心に抱き続けた強い願いが、多大な努力や困難を乗り越えた末に、ようやく達成される、という深いニュアンスを含んでいます。
「大願成就」の由来
「大願成就」の由来は仏教にあります。仏教では、仏や菩薩が衆生(しゅじょう)を救うために立てた大きな誓願のことを「大願」と呼びます。例えば、阿弥陀如来が法蔵菩薩であった時に立てた「四十八願(しじゅうはちがん)」は特に有名です。これは、「すべての人々を必ず極楽浄土へ往生させる」という壮大な誓いであり、この誓いが成就した姿が現在の阿弥陀如来であるとされています。
このように、もともとは衆生救済という大きな目標達成を意味する言葉でした。その意味合いが、時を経て、私たち個人の大きな願いが叶うことも指すようになったのです。仏様が立てるほどの大きな誓いが語源であると知ると、この言葉が持つ重みと有難みが、より一層感じられるのではないでしょうか。

「大願成就」を座右の銘としてスピーチするなら
スピーチで「大願成就」という言葉を紹介する時は、単に意味を辞書的に述べるだけでは相手の心に響きません。大切なのは、自分の人生の物語とリンクさせること。なぜその志を持つに至ったのか、どんな人が後押ししてくれたのか、そしてどのように行動したのかを具体的に語ることです。
以下に「大願成就」を取り入れたスピーチの例をあげます。
退職パーティーでのスピーチ例
私の座右の銘は「大願成就」です。若い頃は、あまりに大きな言葉で、自分には縁遠いものと感じておりました。しかし、40年という会社員人生をこうして無事に終えようとしている今、この言葉の重みを、身をもって感じております。
私にとっての「大願」は、皆様と共に、この会社の発展に貢献し、お客様に喜んでいただける製品を世に送り出し続けることでした。入社したての頃は、右も左もわからず、失敗ばかり。正直、何度も心が折れそうになりました。特に、○○プロジェクトの際には、前例のない困難にぶつかり、連日連夜、仲間たちと議論を重ねたことを、昨日のことのように思い出します。
しかし、どんな時も、私を信じ、支え、共に汗を流してくれた上司や同僚、そして後輩の皆様がいました。家に帰れば、文句も言わずに待っていてくれる家族がいました。私一人の力では、到底ここまで来ることはできませんでした。皆様という存在があったからこそ、今日の私があり、一つの「大願成就」を迎えることができたのだと、感謝の念に堪えません。本当に、ありがとうございました。
これからは、ささやかながら、地域への恩返しや、長年手つかずだった趣味の世界で、新たな「大願」を見つけ、この言葉を胸に、一歩ずつ歩んでいきたいと思っております。
最後に
「大願成就」は、ゴールの瞬間を指すだけでなく、その途中にある努力や人とのつながりの大切さも教えてくれます。
これまでの人生を振り返ってみてください。がむしゃらに働いて会社を大きくしたこと、手探りながらも愛情を注ぎ、お子様方を立派に育て上げたこと、あるいは、長年続けてきた趣味の世界で、ようやく納得のいく作品を生み出せたこと。その一つ一つが、まさに「大願成就」と呼べるのではないでしょうか。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
