取材・文/坂口鈴香

家入充子さん(仮名・75)は、首都圏にある「ひきこもり家族会」の役員として、引きこもりの家族がいる親が悩みや心配ごとを分かち合う場づくりに取り組んでいる。自身、現在40代となる3人の子どもが、それぞれ大学生前後に引きこもった経験がある。同時期に、同居していた姑が60代後半で認知症を発症。20年以上在宅で介護もした。そのころを振り返り、「地獄でした」と言う。
周りの目や評価ばかり気にして、子どもを見ていなかった、子どもの心を尊重していなかったと気づいた家入さんはこれまでの子育てを反省し、子どもとの向き合い方を変えた。そして精神科を受診し、長男と長女は自閉スペクトラム症と診断されたことを契機に、就労支援を受け就職することができた。
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母は自己愛の強い欠陥人間
子どもとの関係を振り返ると、家入さんは実母との関係に突き当たるのだという。
実母について聞くと、「母は欠陥人間」と言い切った。そして「子どものころのことを思い出そうとしても、記憶がまったくない」とも言う。子どもたちの引きこもりと姑の介護で大変ななかで実家に帰っても、家入さんを気遣う言葉はまったくなく、自分の愚痴ばかりだったと苦笑する。
「自己愛の強い人だったからか、健康には気を配っていたようで、病気らしい病気もせず、介護されることもなく、102歳という天寿を全うしました」
「あの人ほどではない」とは思うが、自分も母に似ているのだろうと思う。それが、子どもたちの引きこもりにつながったのだろうと推測している。
家入さんにとって、実母の呪縛はまだ解けていないのかもしれない。
認知症になった姑。姑との戦争に「負けた」
もうひとつの“地獄”――姑の介護だ。
姑も、実母とは違うタイプながら、家入さんにとっては葛藤の原因となる存在だった。
「早くに夫を亡くし苦労してきた人ですが、自分の都合のいいようなウソをつく。ずっと恨んでいました」
姑との関係を「戦争」と例えるほど、激烈だった。しかしその姑が60代で認知症になると、家入さんは「負けた」と思ったと明かす。
「この戦争は、姑が認知症になったことで私が負け。私が変わらざるを得ませんでした。姑を守り、優しくしないと、認知症の介護は余計大変になるのですから」
それほど手こずった。新たな戦争だった。
財布がなくなったと言っては、家入さんが疑われる。風呂の蓋に乗って、風呂に落ちる。ついには家中で排泄するようになった。家入さんは20年に及ぶ在宅介護の限界を感じ、最期は特養で看取った。
引きこもりも介護も自分に必要な経験だった
姑を見送った家入さんは、外に出て働きはじめる。長女がまだ引きこもっていた時期だ。掃除や調理の仕事などを続け、定年になった70歳で介護職に就く。そして75歳で病気になり退職するまで特養で働いた。「姑の介護で学んでいたし、慣れればそう大変なことではありません」と、これまたサラリと言う。引きこもり家族会の役員も「次の世代にバトンタッチしたい」と言いながらも、病気の治療と並行しつつ忙しく活動している。この原動力はどこから来るのだろうか。
家入さんは介護や子どもの引きこもりがあったから、今の自分があると言い切る。
「あの体験は自分にとって必要なこと。それがなければ変われませんでした」
“地獄”を乗り越えた人にしか言えない言葉だろう。
家入さんも、後期高齢者になった。子どもたちは今も全員同居しており、家事はすべて家入さんの手にかかっている。三食の用意をするのはもちろん、出勤する息子たちには弁当もつくっている。「苦にならない」と笑うが、「5人分の買い物は大変」と正直な気持ちも伝えてくれた。
きょうだいの関係は決して良好なわけではない。夫と自分、どちらか残ったほうが家のことも始末をつけないといけないだろう。子どもたちには何をどう残すのか。
「まだ先が見えないのが困ったものです。ともかく、子どもたちに迷惑をかけないように、自分の始末は自分でつけられるようにしておきたいですね」
「ここまでがんばってきたのだから、少しは迷惑をかけてもいいのではないですか」。立ち去る家入さんの背中にそっと声をかけた。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。
