取材・文/ふじのあやこ

日本では婚姻届を役所に提出し、受理されると夫婦と認められる。夫婦となり、パートナーのことを家族だと受け入れられるものの、パートナーの両親やきょうだい、連れ子などを含め、「みんなと家族になった」とすんなり受け入れられる人もいれば、違和感を持つ人もいるという。また、ずっと家族として生活していたものの、分かり合えない関係のまま離れてしまった人もいる。家族について戸惑った経験がある人たちに、家族だと改めて感じられたきっかけを聞いた。
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認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパンは、「ひとり親家庭の収入・暮らしの状況に関するアンケート」調査(実施日:2025年2月4日~20日、有効回答数:「グッドごはん」の利用者2345人、インターネット調査)を実施。調査にて、ひとり親家庭の保護者の就労のみによる2024年の年収(手取り)を見ると、65.9%が200万円未満、さらに4人に1人(22.1%)は100万円未満という厳しい状況が明らかになった。さらに、物価上昇が続く中での暮らしぶりを問う質問において、「非常に苦しい」「やや苦しい」と回答した人の割合は計95.8%にのぼっている。
今回お話を伺った仁美さん(仮名・45歳)は、結婚して2年弱で離婚となり、勘当同然で家を飛び出したものの、生活がままならなくなって実家に戻った過去を持つ。
勘当同然で上京した
仁美さんは近畿地方にある田舎町で生まれ、20歳まで実家で両親と暮らしていた。小さい頃から仁美さんと父親の折り合いは悪く、いつもきつく叱られていたという。
「父親は自分の思い通りに事が進まないと、周囲に怒りをまき散らすタイプでした。威圧的に大声で怒鳴り、こちらが言い返す隙さえ与えません。最初に怒られたことからどんどん説教の内容は飛躍していき、最後は『だからお前はダメ』と締めくくる。私という存在を否定され続けていて、そんな父親のことを好きになれるわけなかった。だから、家を離れたくてしかたなかった。お金がなかったので、専門学校卒業後に就職したところの同僚の家に居候させてもらいました。少しずつ荷物を運んで、実家に帰らなくなったのは勤めて3か月ぐらいのときでした」
仁美さんは実家から電車で1時間半ほどかかる美容専門学校を卒業。学校から近い場所にある美容院に就職し、美容師になった。美容師は就業時間前後でレッスンがあり、田舎にあった実家は終電の時間が早く通うことが困難でもあった。正当な理由もあったことで、家に帰らなくなっても両親は特に注意してこなかったという。そこに味をしめた仁美さんは、そのまま親には事後報告で上京した。
「3年ほど勤めた後に、居候させてもらっていた同僚と一緒に、東京の美容院に転職したんです。やっぱり、美容院も最先端は東京にあって、一度は東京で働いてみたいという思いが捨てきれなかったので。地元で一緒に暮らしていた同僚の女の子も同じタイプで、東京でも一緒に暮らし始めました。彼女とは勤め先の美容院は別々になりましたが、お互いが彼氏と同棲するまで一緒に暮らしていました」
東京で働き始めたことを親に事後報告したところ、父親からは「勝手にしろ!」と一言だけだった。
「そのときにはすでにお正月しか実家に帰っていなかったんですが、上京を伝えたときに完全に縁が切れたような感じです。母親には新しい住所などをちゃんと伝えていて、たまにメールで連絡はしていましたけど、上京してから実家に戻るまで、一度も会っていませんでした」
【子どもができたから、籍を入れただけ。次ページに続きます】
