3回の宇宙飛行に成功した野口聡一さん。安定の象徴たるJAXAを定年前の57歳で退職します。著書『宇宙飛行士・野口聡一の着陸哲学に学ぶ 50歳からはじめる定年前退職』(主婦の友社)では、自らの未来を切り開いた理由と、その舞台裏を語っています。

定年を前にした50代が直面する「モチベーションの低下」「収入の不安」「アイデンティティの喪失」にどう向き合ったのか。定年に振り回されないためには、何を武器に戦うのか? すべての中高年サラリーマンの心に刺さる、渾身の一冊です。その中より、今回は「会社を辞める勇気」についてご紹介します。

文/野口聡一

先行き不安でも、まずは「タイムアウト!」で楽になる

私がスパッと退職できたかのように思われるかもしれません。でも、必ずしもそうではなかったんです。3回目の宇宙飛行から戻ってきてから退職するまで、実際には1年以上が経過していました。なかなか決断できないとき、先行きが不安なときは、最終決断する前にいったん「タイムアウト(スポーツで使われる、試合を一時中断して作戦会議をしたり、仕切り直したりする時間)」を取ることは大事です。自分や周りの状況を冷静にみることができるし、仕
切り直すことで少し気が楽になるかもしれません。職場に不満があっても、長年慣れ親しんだ組織からは簡単に離れられないという気持ちもあるでしょう。そんなときは「タイムアウト」して試合の流れを断ち切って、本来の自分のペースを取り戻す。そして退職した後の新しい生活を想像してみる。それが、退職という大きな決断を下す前に背中を押してくれるのではないでしょうか。

もしもJAXAやNASAを退職せず、定年延長していたら、どんな日々が待っていたのだろう、と考えることもありました。日本では、組織に属している限りは、組織の論理に従うことが当然ですから、組織の人事・方針・与えられた職場で粛々と、そして悶々と過ごしていたと思います。自分がやりたいことは他にあるのに、そこに向かって羽ばたく
ことができないのは苦痛でしょうね。その意味でも、いくら先行き不安があってもいったん仕切り直して再出発したことは正解だったと、あらためて思います。

私の場合、アメリカから戻ってきて、日本の場にまだ馴染んでいなかったから束縛感が強かったと思うんですが、そのまま組織に長く居たらいつの間にか淀んだ空気感に取り込まれて、縛られることに慣れてしまって現状を肯定してしまったかもしれません。そういう人、多いんじゃないでしょうか。他人の自由を束縛することが管理だと思っている人と、束縛されることに馴染んでしまう人。お互いがウェットに縛り、縛られてしまう関係……。そんな人間関係に閉じ込められていたかと思うとぞっとします。そこからなんとかして脱出できたことは本当に幸福なことだと思います。一方で、実際に辞めてみて、初めて分かった不便さもありました。退職をすると、JAXAの名刺が使えなくなりますが、それよりも、JAXAのメールアドレスが使えなくなるのは影響が大きかった。JAXAのメールアドレスは業務用ですから、退職したら使えなくなるのは当然なのですが、それで、仕事上お世話になっていた人たち、職場での知人たちと連絡する手段が一気に絶たれてしまうのは、社会から一気に切り離された気がしました。退職の翌日にはもう一切メールサーバーにアクセスできないですから、それまでの連絡先も全部使えなくなってしまいました。私用のフリーメールアドレスを取得して、併用しながらやってはいたものの、退職時は大変困ったことになりました。

同様に、業務用のパソコンや業務用のスマホも退職日にすべて返却です。スマホは業務用スマホと私用スマホを使い分けていたとはいえ、圧倒的に扱う時間が長かった業務用スマホがなくなるのは困ったものです。

そして、健康保険。こちらも国民健康保険に切り替えないといけません。退職者がみな通る道とはいえ、市役所に出向いての書類作業は結構面倒でした。こうした話は、先輩から聞いていたことばかりでしたが、実際にこれほど不便になるとは思いも寄りませんでした。

だからこそ、会社に居続ける方が楽なのかもしれません。

*  *  *

宇宙飛行士・野口聡一の着陸哲学に学ぶ 50歳からはじめる定年前退職
著/野口聡一
主婦の友社 1,870円(税込)

野口聡一(のぐち・そういち)
1965年生まれ。東京大学大学院修了。IHI入社後、1996年からNASDA(現JAXA)の宇宙飛行士候補者に選抜。3回の宇宙飛行に成功し、15年間で船外活動4回、世界で初めて3通りの方法(滑走路、地面着陸、水面着陸)で帰還したとして、ギネス記録に認定された。2021年の「宇宙からのショパン生演奏」動画などでYouTubeクリエイターアワードを受賞。2022年6月、JAXA退職。現在は、合同会社未来圏代表、国際社会経済研究所理事、東京大学特任教授などを通し講演活動や大学での教育、研究活動を精力的に行う。

 

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