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2024年9月に総務局統計局が発表した『統計からみた我が国の高齢者-「敬老の日」にちなんで-』をみると、65歳以上の就業者数は、20年連続で増加し914万人と過去最多をマーク。就業者総数の13.5%が65歳以上だという。
学童保育運営会社で働く康生さん(64歳)は「結局、人間の体、人の力が全てなんですよ」という。康生さんは新卒から10年ほど、海運会社に勤務していたが、30代前半で海賊の襲撃に遭ったことで将来を考え、退職したという経歴を持つ。
【これまでの経緯は前編で】
内臓や細胞からの「死にたくない!」という声を聞く
海運会社を退職した後、手に職をつけるために整体の学校に通ったという。
「これには僕なりの理屈があります。海運会社にいた頃、品物の積み込みと荷下ろしのほとんどが機械で行いますが、やはりどうしても最後の最後は、人の手が必要なんです。多くのことが機械任せになったとしても、人の手が必要なこところは必ずある。それを突き詰めたところ整体だと思い、失業手当を受けながら有名な整体の先生の門を叩いたのです」
体に注目したことは、銃を向けられた経験が大きい。
「“死ぬ”と思ったときに、内臓の全て、いや細胞の全てが“嫌だ!”と叫び声を出したんです。やはり、人体はすごいんですよ。人体とは何かを知るためには東洋医学だろうと、有名な整体の先生のところに行き“弟子にしてください!”と言いました。断られても通い詰め、半年ほどかけて色々教えていただきました」
技術と知識を習っても、実践し続けなければならない。「まずは1000人の施術をしよう」と思ったときに、友人から仕事に誘われた。
「それが、35歳から定年まで勤務したベンチャー企業支援会社です。大手企業の子会社で、世の中にある事業の芽を伸ばす活動をしているという。海運会社で世界中を回っていたときに、“日本は豊かだけれど、これから衰退していくのか”と思っていたのですが、実際はそうではない。僕が知らなかっただけなのです。起業家を育てることは、日本の国力を上げることに繋がると、すぐに入社しました」
1995年ごろは、終身雇用制が“当たり前”であり、「ベンチャー企業」と言ってもピンとくる人は少なかった。
「僕自身が会社を辞めていたので、いろんな働き方を知りたかった。その後、ベンチャー界隈が盛り上がり、起業家を養成する団体と提携してコンテストを行いました。当時、新しかったインターネット技術を使ったビジネスとか、今のスマートホームの原型とか、ヘンテコな家電とかいろんなプロジェクトに携わりました。まあ夢中のうちに25年間が流れていきました」
康生さんの妻は、実家が貿易会社を経営しており、そこで働いている。家庭と家計を妻が預かってくれたから、自由にできたともいえる。
【定年後の仕事探しのコツは身綺麗にすること……次のページに続きます】
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