「朝は夫婦で過ごしたいから、夜に働いてほしい」
60歳で定年退職してから、康生さんは1年ほど友人の会社を手伝ったという。
「業務の効率化のコンサルのようなことをしていました。現場の社員をヒアリングして、明文化されていない仕事の流れを書き出して、それをまとめて業務マニュアルを作っていました」
そのマニュアルは、業務効率化に繋がり、200万円という報酬を得た。それで妻とニューヨークとロサンゼルスに旅をする。旅の帰りに妻から「単発の仕事じゃなくて、毎日出勤する仕事を探してほしい」と言われた。
「妻は、毎晩のように会食や観劇、友人の食事会、ロータリークラブの出席などもあり、忙しい。そこで僕が家にいると、気になるという。朝しか夫婦が顔を合わせる機会がないので、可能なら夜に働いてほしいというんです。まあむちゃくちゃなんですけどね(笑)。最初はずっとやってみたかったコンビニのバイトをしようと思ったんですが、年齢で落とされた。そこで考えたのは、日本の未来を支える子供達をサポートする仕事。学童保育の補助職員の求人に応募したのです」
仕事の内容は、放課後の小学生を預かり、宿題を手伝ったり遊び相手になったりすることだという。
「面接に行くときに、清潔な服を着て、眉毛を整え、鼻毛と爪を切り、歯を磨いて行けば採用されると思いました。これは、僕が現役時代、起業家を見ていたポイントでした。この5つができている人は、事業をやってもうまくいく。一事が万事なんですよね」
採用になり、今は週3日、17時から22時まで隣の駅の学童保育施設で働いている。
「最後に迎えにくるのは21時の人たち。最初の頃、お母さんたちは、疲れた顔に子供を遅くまで預けて働いているという罪悪感を抱えながら迎えにくるんですよ。だから僕は、そういう人を励ますような一言を添えています。整体の先生も、“体と心は繋がっており、心は言葉が作る”と言っていました。僕の一言が、日本をもっと豊かにするさざなみの一つになればいいと」
整体の修行も静かに続けていた。定年退職後に本格的に再開し、時間をかけて仕事になるレベルまで腕を上げていくという。
「でも会社員をしていると、お客さんから直接お金をもらうことに対して、どうも後ろめたさのようなものがあるんですよね。振り込まれるお金には“もっとくれ”と思うくせに、目の前の人から5000円を差し出されると申し訳なく思ってしまう。目の前の現金を抵抗なく受け取るという、心の準備も始めなくては。整体は一生のスキルなので、時間をかけてレベルアップしていきます」
康生さんは何度も「日本を支えているのは、現場で働く人」と言った。肝心の「人」が人口減で少なくなっており、長く働く時代はすでに始まっている。定年前から「人でなければできない仕事」を考え、そこに自分を沿わせ、心身ともに準備をしていくことが大切なのだろう。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。
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