はじめに-鱗形屋孫兵衛とはどのような人物だったのか
鱗形屋孫兵衛(うろこがたや・まごべえ)は、江戸時代を代表する版元の一つで、絵草紙や地本を取り扱う地本問屋として知られています。初代は三左衛門とされ、2代目以降が孫兵衛を襲名しました。
鱗形屋は黄表紙(きびょうし)や『吉原細見(よしわらさいけん)』などの出版を手掛け、江戸文学の発展に寄与しました。その出版活動は万治年間(1658~1661)に始まり、文化初年(1804年頃)まで続いたとされています。江戸大伝馬町(おおてんまちょう、もしくは、おおでんまちょう)を拠点とし、商標に「丸に三つ鱗」を用いた伝統ある版元でした。
そんな鱗形屋孫兵衛ですが、実際にはどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、蔦屋重三郎の商才を警戒する人物(演:片岡愛之助)として描かれます。
目次
はじめに-鱗形屋孫兵衛とはどのような人物だったのか
鱗形屋孫兵衛が生きた時代
鱗形屋孫兵衛の生涯と主な出来事
まとめ
鱗形屋孫兵衛が生きた時代
鱗形屋孫兵衛が活躍した江戸時代中期から後期は、日本の出版文化が大きく発展した時代でした。この時期、都市の拡大とともに商業が活発化し、書籍や絵草紙が庶民文化として広まりました。文化が移り変わる中で、孫兵衛は浄瑠璃本や草双紙、黄表紙など、時代の流行に応じた多様な出版物を世に送り出しました。
孫兵衛が手掛けた『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』は、黄表紙の嚆矢(こうし)とされ、後の江戸文学に大きな影響を与えました。この時代の出版文化を牽引する存在として、鱗形屋孫兵衛の名は欠かせません。
鱗形屋孫兵衛の生涯と主な出来事
鱗形屋孫兵衛の生没年は不詳です。孫兵衛の生涯は断片的にしかわかっていませんが、記録に残っている足跡を辿っていきましょう。
創業と初期の出版活動
鱗形屋の創業は明暦年間(1655~1658)頃とされます。初代は三左衛門で、浄瑠璃本や仮名草子の出版を主力としました。江戸で活動を始めた鱗形屋は、後に赤本や黒本、青本などを板行し、庶民の娯楽を支える役割を果たしました。
姓は山野。号は鶴鱗(林)堂(かくりんどう)です。
【『金々先生栄花夢』の出版。次ページに続きます】