取材・文/ふじのあやこ
一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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ラグザス株式会社は、シニア世代の「社会的側面」に関しての調査(実施日:2024年7月19日、有効回答数:全国の65歳以上の男女500人、インターネット調査)を実施。調査で「老後に不安はありますか?」の問いに対して、9割以上の人が「不安がある(38.2%)」「漠然とある(54.2%)」と回答した。続いて、「老後へどのような不安を感じますか?」の問いには、健康面が80.3%、経済面が64.9%と高い数字になったが、「社会のつながりが希薄化する」が22.7%、「コミュニケーションの減少」が16.6%と、社会的側面に不安を感じている人もそれぞれ2割ほどいることがわかった。
今回お話を伺った有美さん(仮名・45歳)は、仕事を引退した父親が孤独になり、そのことが影響して認知症になってしまうことが怖く、色々干渉をするようになってしまったという。
3きょうだいの中で私が一番世話をかけた
有美さんは両親と6歳上に兄、2歳下に弟のいる5人家族。兄は優秀で、弟は器用。きょうだいの中で一番の問題児は有美さんだったという。
「兄は勉強ができて、外でも優等生タイプだったから、親からしたら自慢の息子でした。一番下の弟はきょうだいがどんなことで親から怒られているかを学習して、親の前ではいい子を演じるような器用な子でした。そんな2人に挟まれていた私は勉強も普通、運動神経も普通といった、何も秀でたところがなかった。
中学生の頃は親に反発して、悪い友だちと付き合ったりもしました。私が暮らしていたのは地方都市から少し離れたところで、当時はまだ暴走族とかが盛んだったんです。たまたま友だちの彼氏がそのグループの1人だったから仲良くなって、親に内緒で学校をさぼってそのグループの人たちと遊ぶこともありましたね」
少し素行が悪くなった時期もあったが、高校に進学して友人関係が変わったことで落ち着いたという。有美さんは高校から付き合っていた男性と23歳のときに結婚する。
「相手は2歳上の高校の先輩でした。私は高校を卒業して、特に大学に行って勉強したいこともなかったので、親に勧められるままに短大に進学して、その後フリーターになりました。就職活動は何度かチャレンジはしたんですけど、落ち続けたことで心が折れてしまって。兄はいい企業に就職して、弟もいい大学に行っていたこともあり、親は私に何も期待していませんでした。だからフリーターになることも反対されなかったんです。
結婚は、プロポーズしてもらったので。このままずっとフリーターでいるのも、と悩んでいたから丁度よかったんです。もう少し独身でいたいなんて思いはちっともありませんでした」
しかし、結婚生活は2年で破綻。義両親に管理されているような毎日から逃げるように実家に戻ったという。
「結婚が決まる前から義両親は息子夫婦が暮らす家を建てていました。義実家から徒歩3分の場所にあったその家に、当然のように結婚後は暮らすことになりました。合鍵が作られていても、お金を出してないことが負い目になって何も言えず、結婚生活は2人ではなく義両親と夫との4人だったという印象です。
離婚するときは別れたいと言い逃げのようなかたちで実家に戻ったので、お互いの親を含めての話し合いになり、やっと離婚できたという感じでした。親にはとても面倒をかけてしまいました」
【きょうだいが独立した後、はじめて家族3人での生活が始まった。次ページに続きます】