ライターI(以下I):『光る君へ』第42回では、比叡山に参った道長(演・柄本佑)に対して、僧らが石を投げてきたことにも触れられました。三条天皇(演・木村達成)の見立てでは、下馬しなかったことで、仏罰により道長は病に倒れたということになるのでしょう。道長がまたまた病に倒れて、蔵人頭源道方(演・植木祥平)に託して左大臣の辞表を提出するという挙にでました。
編集者A(以下A):このとき三条天皇の蔵人頭を務めていた源道方は、父が源重信(道長正妻倫子の父源雅信の弟)、母が源高明の娘ということで、道長正妻の源倫子(演・黒木華)、二妻の源明子の両者ともにいとこという人物です。完全に「道長ファミリー」ということで、道長にとっては御しやすい人物ではあります。
I:もし、道長三男の顕信(演・百瀬朔)が蔵人頭になっていたらどうだったでしょう。19歳という若さ、野心……。狡猾な三条天皇に篭絡されて、道長ファミリー分断の手先になっていたかもしれないですね。道長の意向に忠実に動く道方の姿を見て、そんなことを思ったりしました。さて、そうした中で、内裏の中では道長の病気に関する怪文書が撒かれたという話題が展開されました。
A:このエピソードの出典は例によって藤原実資(演・秋山竜次)の日記『小右記』(寛弘九年六月二十日条)。「又、云はく、『相府(道長のこと)の病を喜悦する卿相五人、大納言道綱、予、中納言隆家、参議懐平・通任』と云々」とあります。劇中では怪文書でしたが、実際には風説の流布。「予」という表現がなんだか笑えます。実資はどんな思いで「予」と書き記したのでしょう。実資にとっては、道長の病に喜悦していた人という風説を流布されたことがだいぶこたえたようです。1か月後に道長がこの時の話題に触れてきたことを『小右記』に記しています。
I:ことの真相はどうだったのでしょうね。
A:風説の流布とか怪文書を撒くというのは平成時代にもたくさんありました。内部の人間しかわからない情報が盛り込まれた精度の高い怪文書もありましたから、怪文書といっても侮ってはいけません。
【道長の「家司的」存在に出世した百舌彦(演・本多力)さんの「きみかたり」。次ページに続きます】