取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。

株式会社LIFULL seniorでは、「親と話したい“親の今後”にまつわる話題」に関する調査(死後調査・実施日:2024年7月2日〜7月6日、有効回答数:両親またはどちらかの死を経験した40歳以上の男女260人/生前調査・実施日:2024年7月2日〜7月6日、有効回答数:両親またはどちらかが健在の40歳以上の男女293人/ともにインターネット調査)を実施。親の死を経験した人を対象に「親が生前のうちに十分に話し合えなかった話題」を聞いたところ、「特になし」と回答したのは2.7%に留まった。次に親が健在の人を対象に「“親の今後”について十分に話し合えていると思う話題」について聞いたところ、「特になし」と「健康状態」の2つが最も多かった(ともに34.5%)。続いて親が健在の人を対象に「親の今後について十分に話せていない話題がある理由」について聞くと、「話を切り出すタイミングがわからない」(27.3%)、「具体的に何を話せばよいかわからない」(25.9%)、「親が将来の話を避ける」(25.6%)が上位となっていた。

今回お話を伺った真由美さん(仮名・45歳)は現在、実家から離れた場所で夫と子どもとの3人暮らしをしている。両親が高齢になっていても、真由美さんの中ではいつまでも親は若いまま、親の老いに対して見て見ぬふりを続けていたという。

25歳のときに実家を出た

真由美さんは6歳上に姉のいる4人家族。両親は真由美さんが小さい頃はケンカすることも多かったが、年々仲良くなっていったという。娘2人が実家を出てからは、夫婦で年に数回は旅行に行っていたほど仲は良好だった。

「昔はよくケンカしていたんですけどね。夜中に言い合う声が聞こえて、私たち姉妹はそんな声を聞くのが大嫌いで、親の怒鳴るような声が聞こえたときはいつも姉の部屋に行って一緒に寝てもらっていました。

でも、そんなケンカも私が中学生ぐらいのときにはなくなって、軽い言い合いはするものの夫婦2人で出かけることが多くなっていったんです。子どもの目の前でイチャイチャするような仲の良さではなく、両親からは友だちのような仲の良さを感じるようになりました」

姉は地方の大学進学と同時に実家を離れ、そのまま戻ってくることはなかった。真由美さんは会社に就職した後も実家で暮らしていたが、通勤が辛くなったことで社会人になって3年目のときに1人暮らしを始める。

「家は地方都市から1時間ほど離れたところで、学生時代はまだ大丈夫だったんですが、仕事になると通勤時間が辛くなってしまって、お金が貯まったタイミングで1人暮らしを始めました。

1人暮らしを始めてからも実家とは1時間弱ぐらいの距離だったので、週末にはよく帰省していました。私は料理がまったくできなかったこともあって、毎週末に母親のご飯を食べに帰っていたんです」

当時は仕事がどんなに辛くても3年は働かないと次の就職先が見つからないと言われていた。真由美さんは「だから3年頑張った」という。

「それを3年で辞めていいんだって受け取ってしまっていたんですよね。次が決まっているわけでもないのに、とりあえず遊びたいと3年で退職しました。勤めていたところはとてもいい会社で、自己都合の退職だったのに会社都合にしてくれて、すぐに失業保険を受け取ることができたんです。失業保険を受け取れている間に次の就職先をゆっくり探すことができ、次の就職先は東京に決まったので上京しました」

【親には会いたいときにいつでも会えると優先しなかった。次ページに続きます】

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