取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたことや、親について、そして夫や妻、子どもについて思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

離婚した元夫婦の間に20歳未満の子どもがいる場合には、親権を持たない親に対しては養育費の支払いが義務化されている。しかし、株式会社アシロが運営するポータルサイト「ベンナビ離婚」にて行われた養育費の支払いに関するアンケート調査(実施日:2024年4月4日、有効回答数:離婚歴がある20歳未満の子どもの親権を持たない男性150人、インターネット調査)によると、毎月満額の養育費を支払っている男性は52%に留まっている。

今回お話を伺った忍さん(仮名・39歳)は、小学生のときに両親が離婚。離れて暮らすことになった父親とは中学生のときに疎遠になり、忍さんが大人になってから再会していた。

父方の親族が経営する会社で両親は出会った

忍さんは両親との3人家族。両親には年齢差があり、父親のほうが11歳上だった。忍さんを授かったことがきっかけとなり、結婚。父親は父方の祖父母の代から続く不動産業をしており、親族が所持するマンションで当時忍さん家族は暮らしていた。そして、そのマンションの1階で母親は喫茶店を経営していたという。

「母親は父方の親族が経営する会社に入社して、そこで父と出会ったと聞いています。母親は20代前半に結婚して、親族が経営していた喫茶店を引き継いでいました。

私は楽しそうに働く母親の姿を喫茶店のカウンター近くの席でよく見ていました。母親が作るミルクセーキが大好きでしたね」

両親とも忙しく働いていて、2人が仲良さそうな姿をあまり見たことはなかったが、ケンカをしている様子も覚えていないと忍さんは振り返る。そんな両親は、忍さんが小学生のときに離婚した。

「学校が休みの日に3人で一緒にお昼を食べていたら、父親から離婚することを告げられました。そのときに『お父さんと一緒にいたいよな?』と聞かれたことを覚えています。私はあまり遊んでくれなかった父親よりも母親のほうが好きでした。父親からそう聞かれて、“うん”と言えば母親を傷つけてしまうし、“嫌”と言えば父親を傷つけると思って、何も言えませんでした。父親の圧がすごくて私は泣いてしまったので、深く追求されることはなかったです」

離婚が決まってしばらくは父親が家に帰って来なくなったという。しかし、その生活は1か月も続かず、母親と一緒に暮らしていた家を出て、母方の祖母の家に引っ越しすることになった。

「5年生の春休みに引っ越しすることになりました。暮らしていた家で過ごしたのは、私の学校の3学期が終わるのを待っていたからだと思います。そこまで待っていてくれたことには感謝していますが、あと1年はその小学校にいたかったですね」

【「父親に会いたい?」と母親から聞かれていた。次ページに続きます】

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