「最後の海軍大将」と呼ばれた井上成美
井上成美(いのうえ・しげよし/1889-1975)は帝国海軍軍人。
仙台に生まれ、海軍兵学校を卒業。海軍では対米開戦に反対するとともに日独伊三国同盟締結にも反対した。
海軍兵学校校長を経て、昭和20年に海軍大将を拝命。「最後の海軍大将」と呼ばれる。
終戦後、井上は横須賀市の小高い岬の上に建つ自宅に隠棲する。
井上は軍人として祖国を救えなかったという痛恨の思いがあったため、さまざまな職の斡旋や公的援助を断った。
子供らや地元の人々とのふれあいが、なによりの癒し
そのために生活は困窮したが、井上にはささやかな楽しみがあった。それは得意なギターを演奏したり、英語塾を開いて近所の子供たちに英語を教えたりすることだった。
井上は「私は貧乏だが、純朴な子供たちが本当の子供にも思える」と語っている。
井上は英語塾の月謝をほとんど受け取らず、子供たちが楽しみにしていた中休みのおやつも私財を売ってまかなった。
井上にとっては子供らや地元の人々とのふれあいが、なによりの癒しであり、生きる支えになったのだろう。
隠棲して30年、86歳になった井上は自らの死期を悟り、自宅のベランダに出て、海をしばらく眺めたのちに静かに息をひきとったという。
文/内田和浩