取材・文/坂口鈴香
冨田珠子さん(仮名・69)は、母のノブヨさんを呼び寄せ介護していたが、ノブヨさんが100歳を迎えたある日、デイサービスで倒れ、救急搬送された。その後複数回脳梗塞を起こし、医師からは「寝たきりになるだろう」と告げられた。冨田さんは、ノブヨさんを自宅に連れて帰りたいと考えたが、医師からは冨田さん一人で看ることは難しいのではないかと懸念を示され、決心は揺らいだ。
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枯れるように死に向かうはずだった
冨田さんには、介護を手伝ってくれる姉はもういない。夫はいるものの、自宅にノブヨさんを連れて帰っても介護するのは実質冨田さん一人になるだろう。一人で、最期までノブヨさんを看ることができるのか、と何度も自問した。
悩んだ冨田さんは、答えを先延ばしすることにした。とりあえず1週間くらいは入院させよう、と。
この選択は良かったと思えた。ノブヨさんとコミュニケーションはできなかったが、マヒは緩和していったのだ。しかし、次第に冨田さんは混乱していく。
「お医者さんには延命措置はしないでほしいと頼んでいました。そもそも100歳だったので胃ろうはできないとのことだったので、点滴で栄養を入れることもしないでほしいと言ったんです。お医者さんは了解してくれました」
これでノブヨさんは自然と、枯れるように、楽に死に向かうことができるだろう。冨田さんは安心しつつも、毎日ビクビクしながら病院に通った。死に向かうノブヨさんの姿を見るのが怖かったのだ。
ところが、逆にノブヨさんは元気になった。「また明日来るね」と言う冨田さんに、ノブヨさんは布団から手を出して、手を振ったのだ。
延命措置をしない判断は間違っていた?
「え? と思いました。母は回復したの? と戸惑ったんです」
ノブヨさんはもう1週間も栄養を体に入れていない。冨田さんは、「延命をしないでほしい」という希望が間違っていたのではないか、と苦しんだ。
「私の判断は間違っていたんじゃないか、と心が大きく揺れたんです」
その後も、孫たちがノブヨさんを見舞いに行くと、頭を動かすなどノブヨさんが回復している様子が見えて、冨田さんの葛藤は大きくなるばかりだった。
「母にご飯を食べさせていないのに、なぜ? 延命措置をしないでと言ったのは間違っていたんじゃないの?」
思わず医師に問い詰めた。医師は「脳卒中の人にはよくあること。一度良くなったように見えても、またそのあと状態は落ちていきます」と答えたが、冨田さんには納得できなかった。
「母には表情も見られました。栄養を入れていたら回復したんじゃないか。私の選択は間違っていたんじゃないか。私は母を殺しているんだ。餓死させているんだ――。自分を責めました」
延命措置をしてもらっていればよかった。そうすれば、少なくとも自分がノブヨさんを殺したことにはならない――。逃げ場を求めたかったんだと今は思うが、そのときはそこまで追い詰められていた。
子どもたちや訪問看護師にも、泣きながらそう迫った。「そんなことはない」という励ましの言葉も、冨田さんには何も響かなかった。毎日病院から号泣しながら帰る毎日だった。
母の遺言【3】に続きます
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。