はじめに-於愛の方とはどんな人物だったのか
於愛(おあい)の方は、戦国時代に生きた女性です。前夫を戦で亡くし、幼子を連れた未亡人となった於愛の方。ふとしたきっかけで家康と出会い、側室となることに。彼女は家康との間に、秀忠と忠吉の二人の息子を授かります。
才色兼備で人柄も良かったとされる於愛の方。明るく、天真爛漫なイメージが湧きますが、実際の於愛の方はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、苦労人ながらも無邪気な振る舞いで周囲に癒しを与え、我慢続きの家康の心を明るく照らす人物(演:広瀬アリス)として描かれます。
目次
はじめに-於愛の方とはどんな人物だったのか
於愛の方が生きた時代
於愛の方の足跡と主な出来事
まとめ
於愛の方が生きた時代
於愛の方は、織田信長が今川義元に勝利した「桶狭間の戦い」の二年後、永禄5年(1562 ※生年については諸説あり)に生まれます。遠江国(現在の静岡県西部)出身の武将・戸塚忠春(ただはる)の子として生まれ、成長して最初の夫と結婚し、一男一女を授かるも、夫は戦で命を落としてしまいます。
家康と出会って側室に望まれると、家康から信頼されるようになったとされる於愛の方。その命が尽きるまで、家康を支え続けた一人であると考えられています。
於愛の方の足跡と主な出来事
於愛の方は、永禄5年(1562)に生まれ、天正17年(1589)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
戸塚忠春の子として生まれる
於愛の方は、遠江国出身の武将である父・戸塚忠春と、母・於さいの間に生まれます。成長してから、武将である西郷義勝(よしかつ)の妻となり、一男一女を授かることになりました。なお、義勝が最初の夫であるとされていますが、こちらに関しては諸説あるため、真相ははっきりしていません。
夫に先立たれ、未亡人に
元亀2年(1571)、武田家の家臣との間で勃発したとされる合戦で、義勝は帰らぬ人となってしまいます。残された於愛の方は、幼子を抱えた未亡人となることに。この時はすでに父の戸塚忠春が亡くなっているため、若くして相当な苦労を強いられたのではないかと考えられます。
家康の側室となる
夫の義勝が亡くなった後、義勝の叔父にあたる西郷清員(きよかず)の養女になった於愛の方。天正6年(1578)に家康と出会い、側室に望まれることになります。二人の出会いに関して、容姿が大変美しく、教養もあったとされる於愛の方の噂が、浜松城にいた家康に伝わったことがきっかけであるという逸話が残されています。
その後、西郷局(さいごうのつぼね)とも呼ばれるようになり、家康との間に、のちに江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠(ひでただ)と、のちに尾張清州(きよす)藩主となる松平忠吉(ただよし)の二人の息子を授かることにななります。合戦続きで疲弊していた家康を支え、家康だけでなく家臣団からも信頼されていたと伝えられています。
【駿府城にて最期を迎える。次ページに続きます】