ここ数年、気候変動の影響によるものなのでしょうか? 毎年、全国各地で異常気象による大きな被害が出ています。こうした被害ニュースを見聞きいたしますと、自然の脅威・自然の摂理というものに、もっと真摯に向き合うべき時代が来ているように感じられてなりません。
「心磨く名言」第十六回で取り上げるのは、幕末の「三舟の一人」 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)の名言です。この名言には、現代社会への警鐘や教え、我々が生きて行くためのヒントとなる言葉や考え方が込められているように思えます。その捉え方は、読む者の置かれている状況や心境によって大きく異なって参りますが……。
これまでの人生を振り返ると、高度経済成長、経済至上主義の時代に育ち、大量生産大量消費を実践してきた我々には、現在の環境問題や気候変動問題に関して、少なからず責任があるような感じがいたします。
そのように考えますと、自然環境の保全や再生活動へ積極的に関わり、環境破壊を食い止めることに協力する必要があると思われてなりません。日々の生活においても“ゴミを減らす努力をする”、“節電に努める”、“食品ロスを減らす”、“物を大切にする”など、出来ることを実践する必要があります。
また、「自然に即して考える」という言葉からは、個人の生活や行動において思い当たることは多いのではないでしょうか。例えば、川の流れは必ず「上(かみ)から下(しも)へと流れる」。特殊な場合を除けば、下流から上流へは水は決して流れないものです。これは、物事を進めるに当たっての順序や手順に例えることができます。少しだけ順序、あるいは手順を間違えたことによって、物事が上手く運ばなくなってしまったという経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
私には苦い経験談でございます。あるプランを推進したいと考え、直属の上司の頭越しに、影響力のある御人に近づき事を進めようと動いてしまいました。結果は、上司の反感を買ってプランは頓挫。功を焦る余りの行為でした。このエピソードを聞いて“身に覚えのある”という方もいらっしゃるかもしれませんね。
歳を重ねると、この「物事には順序がある」ということが、痛いほど理解できるようになります。若い頃は、面倒臭く、どうでもいいと思っていた、しきたり、作法、礼儀などの大切さが次第にわかってくるのです。人間も自然の一員として生きているわけですから、やはり自然を教師とすべきことが多いですよね。
※ことばの解釈は、あくまでも編集部における独自の解釈です。
山岡鉄舟の人生
山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟らとともに江戸を戦火から救った「幕末の三舟」の1人で、江戸末期から明治の政治家です。
戊辰(ぼしん)戦争の際には、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、両者の会談を実現させました。これにより、徳川幕府から明治政府への江戸城の受け渡し、通称「江戸無血開城」が実現したと言われています。明治維新後は、新政府に仕え、静岡県権大参事、茨城県参事、伊万里県知事を歴任。明治天皇の侍従も務め、信任が厚かったと伝えられます。
また、山岡は非常に武術に長けた人物としても知られています。公務のかたわら剣術道場を開き、明治13年(1880)には新たな流派・無刀流を創始しました。その極意を「心外無刀(心のほかに刀無し)」とし、勝負にこだわらず心を練る修練を重視。厳しい稽古をやり抜いて無心の境に至る修行法は、禅の修行と共通すると考えたのです。
今回の名言「自然は教師なり~」に当てはめて考えれば、剣と心とが相互に高め合う無刀流の思想もまた、山岡自身が自然に即して考えた結果なのではないでしょうか。剣豪と政治家という、一見すると結びつかない2つの顔を持つ山岡。その2つを結びつけるヒントが自然の中にあったと思われます。
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剣術家として人々に師と称される山岡は、“自然”を師としていました。彼のこの考えは、単に古き良き武士道という言葉では収まらない、活きた教えとなってきます。なぜなら、自然は今も変わらず、私たちのそばで営みを続けているからです。
時代が変わり、世の中の仕組みや技術は変化しました。しかし、我々が自然の一員であるという事実は変わりません。それゆえにこの名言は、迷いや不信感、将来への不安などの複雑な感情を抱えた現代人の心の、大きな支柱になってくれると思われてなりません。
肖像画/もぱ
文・構成・アニメーション・撮影/貝阿彌俊彦・トヨダリコ(京都メディアライン)
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