季節の変わり目になると、ぶらっとどこか旅行へ出かけたくなったりいたします。そうした時、若い頃なら行ったことの無い地域、知らない場所を好んで訪れたものですが、ある程度の年齢になりますと、若い頃に行った観光地や、親しい人と共に訪れた思い出深い場所を、再び訪ねたくなります。
特に幼い頃、父母に連れて行ってもらった場所などは「今はどうなっているだろうか?」などと気に掛かるようになり、どうしても訪れておきたくなるものです。思い出の時から数十年も経っていれば、記憶の中にある風景など残っているはずもないのに、心の中では「昔のままであって欲しい」と願うのであります。
多くの場合、思い出の地に立ってみると、その風景は変わり果て、その変貌ぶりに「あぁ、変わってしまったなぁ~」と淋しく呟くことがほとんどですが……。それでも、稀なことではありますが、昔の景観を留めている場所もあります。
そんな風景に出会えると、懐かしい人と出会えたような気分になり、暫しの間、その風景と思い出話を楽しむことにしております。それは「まるで温かな母親の胸に抱かれているかのような心持ち」とでも例えることができるかもしれません。親しい人と別れた日は遠くなり、悲しみも記憶も薄れてゆくのに……。
心の中での存在は日増しに大きくなり、想いの距離は近くなっているように感じます。今回の「懐かしき風景」は、歴史ある温泉街に残っている昭和レトロな雰囲気が漂う娯楽場の風景をご紹介いたします。昭和歌謡がしっくりと馴染みそうな場所です。
昭和な雰囲気が色濃く残る、温泉地にある娯楽施設「泉娯楽場」
温泉地での「娯楽」というと、どんな遊びを思い浮かべるでしょうか? 遠い昔の経験談として、ちょっと隠微な雰囲気が漂う歓楽街で遊んだという方もいらっしゃるかもしれませんね。それも楽しい昭和の思い出の一つなのかもしれませんが……。
今回、動画の中で紹介しているのは、鳥取県・三朝温泉街に残る「泉娯楽場(いずみごらくじょう)」です。それはまるで「昭和遊技博物館」と例えてもいいくらいに、昭和生まれのサライ世代にとっては若かりし頃にタイムスリップできる場所です。
この「泉娯楽場」は、昭和36年に開業した娯楽施設で、今ではすっかり珍しくなってしまった射的やスマートボール、手打ち式のパチンコ台などが設置されており、昭和30年代に一世を風靡した懐かしい遊びが楽しめる場所です。
特にパチンコの原型とされるスマートボールは、かなり貴重な遊技具となっているらしく、全国各地からスマートボール愛好家たちが、わざわざ訪ねてくるほどの聖地的な存在でもあります。スマートボールが開発されたのは昭和30年代で、一時ブームとなって温泉街や街角にスマートボールを置く娯楽施設が多くできたとか。しかし、パチンコの進出や温泉街の衰退などによって、徐々にその姿を消すこととなりました。
「泉娯楽場」を運営する株式会社C&C代表の知久馬宏平氏(52歳)のお話によると、スマートボールの実機で遊技できる遊技施設は全国でも20店舗ほどにまでに減ってきているとのことでした。
その理由の一つが、稼働しているスマートボール機も壊れると修理する部品が調達できない。そのため、やむなくスクラップにされてしまう。また、保守、メンテナンスにも手が掛かり維持していくのも、なかなかに大変とのことなのですが……、そうした状況を見かねて、スマートボール愛好者の方が、ボランティアで修理や保全を申し出ているという心温まるエピソードもお聞きしました。
何十年かぶりにスマートボールの機械に触れてみましたが、どの様にして遊んでいたのかをすっかり忘れてしまっていました。代表の知久馬氏に説明していただきながら、実際に操作してみるとアナログ遊技独特の味わいが蘇ってきました。
最初に、規定数の大ぶりのガラス玉(ビー玉)がフロントガラスの上に流れ出てきます。その音も懐かしい。一玉ずつ投入口に入れて、発射レバーを手前に引いて弾きます。すると、台に打ち込まれた釘に当たって弾かれると、その度に「ピン、ピン」と鈍くも乾いた音が奏でられ心地よいものです。
パネルには穴が切ってあり、その穴にボールが入ると、穴に書かれた数字の分だけボールが流れ落ちてくる仕組みになっています。ガラス玉がフロントガラスに流れ出す音、ビー玉が釘に当たって弾かれる音、発射レバーのバネの音、どの音をとっても普段の生活の中では聞くことのない古くて新しい音です。
その音は、心に染みこみ不思議なほど穏やかにしてくれました。
地元愛によって保たれている、昭和な懐かしき風景
知久馬氏が「泉娯楽場」の経営を引き継いだ経緯をお聞きすることができました。前の経営者から「泉娯楽場」の事業を引き継いで欲しいと相談を受けたのは、2020年のこと。色々と考えた末に引き受けたそうです。
事業を引き継いだ理由については、
「自分自身、少年時代に何度も訪れ遊んだ施設です。無くなってしまうのは寂しいし忍びないと思った」
「それに、温泉地にあるこの様な娯楽施設は、一つの温泉遺産だと考えているので継承し存続させたいと思った」とのこと。
その語り口からは、三朝温泉で生まれ育ってきた知久馬氏の熱い地元愛と温泉街を盛り上げ活性化したいという強い使命感のようなものが感じられました。
娯楽が多様化する中で、温泉地での「娯楽場」の経営もなかなか厳しいものがあるらしい……。知久馬氏のお話からは、そうした状況が見え隠れします。最近では、各宿泊施設の食事や提供サービスが充実してきていることから、観光客の温泉地での過ごし方もずいぶんと変化しているようです。
昭和レトロブームに影響を受け物珍しさから訪れる若いカップルや、SNSに投稿するために写真映えする撮影スポットとして立ち寄る人など、「娯楽場」の利用のされ方は一昔前の目的とは違ってきているそうです。運営する企業側も、時代の流れに合わせた工夫や取り組みをしておられることが窺えました。
サライ世代にとって懐かしさが感じられる風景を求め、各地を訪ね歩いておりますが、知久馬氏のような方がいてこそ「昭和な景観」が守られていることを、今回の取材を通して如何ばかりかの理解ができました。
やみくもに「昔のままであって欲しい」と無責任に願うのは、甚だ失礼な話のようで反省をいたした次第です。街並みや景観、その土地の文化を守る活動をしている人たちへ感謝をしながら三朝温泉を後にしました。
「泉娯楽場」アクセス情報
所在地 :鳥取県東伯郡三朝町三朝912-2
バ ス :JR西日本 山陰本線 倉吉前バス停から
三朝温泉行き約15分 バス停より徒歩約1分
自動車 :山陰自動車道 泊・東郷ICから約30分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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