文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。
小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは?
齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボスの「仕事の流儀」
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール02
「隣の芝生は青い」とはよくいったもので、他の人のことは何かと気になるものです。自分がうまくいっている時はいいのですが、そうでない時は余計に気になります。
特に歌手は、CDの売り上げやチャートで常に比べられますから、気にするなといっても気になってしまう。私もそうでした。
でも、いつからだろう? 他人のことがあまり気にならなくなったのは。
きっと、目の前のことにがむしゃらになってからかな。目の前のことに集中していると、他人と比べる暇なんてなくなってくるんです。
たとえば、私にとっては、かつての紅白の衣装がそうでした。
最初にド派手な衣装を身につけたのは、1981年、『迷い鳥』を歌った時。それまで、私だって普通のドレスだったんですよ。
『迷い鳥』の時は「鳥」をイメージして、手を広げると、鳥が大きな翼を広げたように見える衣装を作りました。私が言うのもなんですが、広げた時のスパンコールがとてもきれいで、観客の皆さんのため息がたしかに聞こえてきました。審査員の方々もニコッと笑顔になった。「あ、これだ」と思ったんです。
この感覚に、それ以来、ヤミツキになってしまいました(笑)。
もちろん、「やりすぎじゃないか」との批判もありました。
でも紅白はお祭り。お祭りだったら楽しませてなんぼ、目立ってなんぼ。
ありがたいことに視聴者やファンの方々からの評判は上々で、舞台裏は大
変でしたけど、続けていくモチベーションになりました。
こうなってくると、「他人と比較する」という意識はもうありません。
ライバルは、前の年の自分。前年の自分の衣裳をどう超えるか。
プロジェクトチームを立ち上げ、デザイナーやスタッフと共に、ああでもない、こうでもないと知恵を絞りました。
分相応でなくていい
人には許容量があります。分相応という言葉もあります。
その範囲内で行動していれば、失敗も少ないのかもしれませんが、それだと毎日が同じことの繰り返しになってしまいます。それは効率的ではありますが、日々のワクワク感は減っていきます。
たとえば自分のことを「不器用」だと思っていたとしましょう。もちろん不器用でいいんですよ。でも「私は不器用だ」と思い込むことで、自分の行動力を制限したり、セーブしてしまったりしているとしたらどうでしょう?
人には自分でも気づかない力――潜在能力があります。もしかしたら、「自分は不器用」と思い込んで殻に閉じこもることで、持っている能力を発揮できず、人生の楽しさを損しているかもしれません。
それよりも自分は「あんなことができるかもしれない」「こんな一面があるかもしれない」と、日々いろいろなことに挑戦していくと、いつの間にか「自分の範囲」(許容量)が広がっていることに気づきます。
紅白でとんでもなく大がかりな衣裳を身につけたことも同じ。一度その殻を破ったら、それもアリになりました。東京ビッグサイトで開催される世界最大の同人誌即売会「コミケ」(コミックマーケット)に参加したり、ニコニコ動画に投稿したりすることも、殻に閉じこもっていたら、できませんでした。
「過去の自分」がやってこなかったことにチャレンジするたびに、自分の可能性が広がっていくことが肌身でわかります。
楽しいですよ、過去の自分をライバルにすると。
「さあて、次は何をしてやろうかな」
こう毎日ウキウキしている自分がいます。
一、いろいろなことに挑戦すると自分の「許容量」が広がる
一、自分がやらなかったことに挑戦する楽しさを知る
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~