取材・文/ふじのあやこ
時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も子供を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、都内にあるインターネット広告を扱う企業でデザイナーとして働いている広樹さん(仮名・38歳)。広樹さんは東京の23区内出身で、家族は両親と4歳上に兄、2歳下に妹のいる5人家族。仕事人間の父親と大雑把でおおらかな母親の下で育ち、家族仲も良好。就職後も実家から通っていた広樹さんですが、兄が結婚後に実家で同居を始めたことにより、家を出る決意をします。
「今まで何も気を遣うことなく、パンツ一丁でウロウロしていた我が家が、急に親族の家に居候している気分というか、少し気を使う空間になりました。兄とは夫婦かもしれないけど、僕には義姉といってもまだまだ気を遣う存在です。当時はまだ20歳過ぎぐらいだったこともあり、自分の居心地が悪くなったことばかりに気が行っていましたね」
孫の面倒を見るため、母親は仕事を手放していた
広樹さんが一人暮らしを始めたのは就職してから1年ほど経った頃。その頃には兄の子供も生まれたことで、実家には少し顔を出すぐらいになっていたそう。
「一人小さい子がいると、どうしてもその子メインにすべてが回るようになってしまう。それは悪いことではもちろんなくて、僕自身も何度か見た甥っ子は、とてもかわいかった。でも、実際どう接すればいいのかわからないし、義姉との仲も悪くはないけど仲良しではなかったので、会いに行きづらいというのも正直ありました。そんな感じで徐々に疎遠になっていって、妹とも元から個人で連絡を取ったりする関係じゃなかったので、家族の近況はあまり知らない時期が長く続きました」
それから数年は疎遠なままの生活が続いたそうですが、妹の結婚の顔合わせである事実を知ることになります。
「妹は結婚式をしない代わりに、互いの親族を集めて、ホテルのレストランの個室で顔合わせをしたんです。そこに行った時に妹からある話を聞かされました。それは母親がずっと孫の面倒を義姉に任され続けて、今は仕事も辞めて家のことを全部請け負っているということ。僕が母親から聞いていたのは、『体がしんどくなってきたから、仕事を辞めた』という話だったから衝撃でしたね。義姉は出産後すぐに仕事に復帰していたので、多少は仕方ないとは思いますが、週末も子供を預けて友人と出かけたり、夫婦で出かけることも多いんだとか。それを誰にも相談できずに母親はずっと我慢していたみたいなんです」
その事実を知って、広樹さんはすぐに兄に伝えたと言います。しかし、回答はまるで他人事だったそうです。
「『子育ての息抜きをさせてあげないといけない』と義姉の肩を持つばかりで。嫁の立場からしたらいい旦那なのかもしれないですけど、僕は母の家族としての立場にどうしてもなってしまいます。毎日孫の世話や家事をしていて、働くことが大好きだった母親から仕事まで奪ったくせに!と、怒りがこみ上げてきましたね。でも、厳しい口調で伝えたとしても、兄は話をのらりくらりとかわすばかり。埒が明かないと思い、妹とともに母親に、兄夫婦も入れて話し合いをしようと提案したんですが……」
【悪役を買って出た父親に、母親への深い愛情を見た。次ページに続きます】