江戸時代の政治の中心であり、将軍の住まいでもあった江戸城。今は石垣など城の面影を残すのみとなっていますが、広大なお屋敷内にはかつて様々な機能を備えた部屋がありました。ドラマや小説の題材によく取り上げられる大奥もそのひとつです。
しかし、その内側はどうなっていたのかは意外と知られていません。そこで、今回は「江戸文化歴史検定」(通称・江戸検)の過去問題から、江戸城に関する問題を4問ピックアップしてみました。ぜひ挑戦してみてください。
【クイズ1】
江戸時代本丸御殿は、大きく三つに分かれていました。一番奥は、数多くの女性が暮らす「大奥」で、その手前は将軍が日常生活を送る「中奥」です。では、将軍が謁見したり政務をつかさどったりする、一番手前の部分を何というでしょう?
(い)表
(ろ)応接
(は)執務
(に)客間
【クイズ2】
江戸城の大奥は、将軍の執務空間である中奥とは厳重な塀で隔離されていました。将軍は大奥と中奥との間に渡された廊下を通って往き来しましたが、この廊下を何と呼ぶでしょう?
(い)御伽廊下
(ろ)御鈴廊下
(は)御留廊下
(に)御成廊下
【クイズ3】
万延元年(1860)に、大老の井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸・薩摩藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。では、2年後の文久2年(1862)に、老中の安藤信正が尊王攘夷派の浪士に襲撃されたのは、どの門の外でしょう?
(い)大手門
(ろ)坂下門
(は)半蔵門
(に)平川門
【クイズ4】
江戸城の天守は、ある大火で焼失したのちは、再建されませんでした。その大火はどれでしょう?
(い)明暦3年(1657)の「明暦の大火」
(ろ)天和2年(1682)の「天和の大火」
(は)明和9年(1772)の「目黒行人坂の大火」
(に)文化3年(1806)の「丙寅の大火」
以上、4問です。いかがでしょうか?