年を追うごとに、人との交流、世代を跨いだ交流が減少しているように思います。それは、年配者が若者へ世代を超えて物事を伝えるということが減少していることが、一つの要因であるのかもしれません。その一つの例としては、人口減少や過疎化によって、古くからの行事や風習が途絶えてしまったり、化学製品やICTの普及により伝統工芸は衰退の一途を辿っていることがあげられます。
そんな中、京都の花街・宮川町にある置屋「お茶屋しげ森」の女将・谷口三知子さんは、時代や人が変わっても、人とのつながりを大切に昔ながらのやり方で若い芸舞妓を育てているそうです。ただ単に物事を伝承するということだけでなく、若い人を指導し、育てるということが今も行われています。300年続く伝統社会の中に、若者を育てるということと、若者に伝えていくという大切さが見えてきました。
女将のインタビューは、動画でもお届けします。若い人を導くためのヒントが、女将が話す言葉の中にあるような気がいたしました。あわせて、お楽しみください。
■今日日のことなので「刺されるかもしれない」と思うことも…
谷口さんが女将を務める「お茶屋しげ森」には、15歳から10代後半の舞妓たちが現在10名います。置屋とは、舞妓を育て、お座敷などに派遣するお茶屋のこと。芸舞妓は置屋に住み込み、女将や先輩であるお姉さんたちから京の花街言葉、挨拶やしきたりなどの行儀作法が徹底的に教え込まれます。それはまるで、ひと世代もふた世代も昔の徒弟制度のような社会です。
赤の他人同士が寄せ集まって暮らす置屋の女将は、どのように舞妓たちを育てているのでしょうか?
「一人一人育ってきた家庭環境も違うし、生まれつきの性格も違う子どもたちを預かっております。妙な先入観を持ちたくないので、親御さんに細かいことは聞きまへん。今の本人さんと向き合う方が大切やと思うてます。
いじめられてた子や家庭に恵まれない子もいてはりますけど、ここ来たらゼロからのスタートです。過去はどうでもいいんどす。これからの、その人の取り組み方で判断するだけのことどす」
――女将は、今の社会では「パワハラ」と言われかねないほど、きつく叱っていらっしゃいますね。
「よくお客さんへは『私、例えるならサーカスの猛獣使いみたいなもんどすえ』と言うんどす。弱かったらガブッと噛みつきに来はるし、嘘言うてたら嘘やって見抜かはるし、10人いはるけど一対一で向き合わんといけまへん。この子が良くなったら、こっちの子が悪なったり、ちょっと目を離したらあっちの子が勘違いしていたり…、本当に人を育てるということはしんどいことどす。
今は、おそらく親御さんも学校の先生もきついことはおっしゃらないし、深く関わろうとしないから、ここに来て初めて欠点を指摘されるんどすよ。今日日のことですから、きつく叱ったりすると逆恨みをされて、『私、刺されるかもしれない』と思う時もあるんどす。
でも、言うべきことは言いますね。その子のために…。
私には、今の私を作ってくれた先人がいはるんどす。その思いを私は後進に伝えて残さないかんので、昔からのやり方のまま伝えていかなあかんと思っています。めちゃくちゃ体力要りますけどね」(笑)
■きつく叱るだけでは、人は育たない。愛情ある声がけが人を育てる
――「舞妓は向いていないんじゃないか」とか「花街で生きていけないんじゃないか」というような弱音を吐いた時、女将には決まって励ます言葉あると聞きました。それはどんな内容でしょうか?
「『みんな一緒え。私も同じ道を歩んできたんだから、あなたに出来ないことはない』と言いますね。あんたらが失敗したことは私も失敗したんやさかい、同じなのでね。きつく叱る一辺倒ではありません。
それに、顔・表情を見たら、ここではなんと声をかけたらいいのか、私には分かりますしね。それこそ、一つ躓くと全部あかんみたいな顔する子もいますから。それをどれだけキャッチして言えるかが大切どす。人の心のうちをキャッチするのが、私のお商売でもありますしね」
――「自分を幸せにせなあかんえ」という女将からの言葉も心に残っているようです。
「それは、口癖のように舞妓たちに言っていますね。己を甘やかし、精進を怠れば、決して幸せにはなれないでしょ。
それに、置屋での修行生活が終わってからも人生は続くんだから。花街だけのことを教えるんやのうて、良い人間を育てたいと思っているから言っていますね。
私はほんまに幸せなことに、九州から出てきて苦労もしましたけど、なんとかお茶屋さんを建てさせてもらえて、おまけに結婚も出来ましたしね。自分のしたいことは全部させてもらっているので、後進の人が『なんでもやればできるんや』と思うてくれたらいいなと思って。
そのためには、私自身が幸せじゃないと、子どもを幸せにもできひんし、子どもたちに『幸せってなにえ?』って問えへんと思うんどす」
■腹は立つし、毎日怒るんですけど、結局はみんなを愛してるんどす
― 女将と芸舞妓さんたちを取材させていただいて、心が通じ合っていることが感じられるのですが…。
「しょっちゅう怒っていますし、その時々、ほんまに腹は立ちます。ですから、お世辞にも優しいだなんて思ってくれはしないでしょうけど(笑)。それでもやがては、私がその子のことを思っているからこそ、叱っていることを理解してくれる日が来ると思うんどす。子どもたちの幸せを願っていますしね。
私らは所詮、間を繋いでいる者なだけであって、若い人らに、しきたりや習わし、芸事を伝えていくのが役割なんどす。
そうやって、花街は300年以上続いてきたんですね。私も、花街で教えてもろたことを、次の人に残していかんと、自分が生きてる意味がないですから。
コロナくらいで花街を途絶えさせたのでは、先人たちに顔向けできまへん」
谷口三知子(たにぐち・みちこ)
昭和48年2月9日、福岡県生まれ。京都宮川町 お茶屋しげ森の女将。15歳で置屋に入り、16歳で舞妓・ふく笑として店出しし、21歳で芸妓になる。令和2年より、お茶屋しげ森の女将となる。バーもり多も経営。長唄の今藤長しげという名取で舞台に今も立つ。
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