文・写真/織田村恭子(海外書き人クラブ/アイルランド在住ライター)

13世紀からの歓楽街に建つダーキー・ケリーズパブ

ダーキー・ケリーズパブの近くには場所を示す看板がある。18世紀に『Maiden Tower(乙女の塔)』の売春宿だった頃にも、それを示すものがあったのだろうか。

ダーキー・ケリーズパブの近くには場所を示す看板がある。18世紀に『Maiden Tower(乙女の塔)』の売春宿だった頃にも、それを示すものがあったのだろうか。

ダブリン中心にそびえたつクライストチャーチ大聖堂、その横の路地裏に『ダーキー・ケリーズ』(https://darkeykellys.ie/)というパブがある。一見、どこにでもありそうなパブだが、実はこの名前には、ある女性の史実が秘められているのだ。

『ダーキー・ケリーズ』は今はパブとして旨い酒とアイルランド料理を出すが、18世紀には『Maiden Tower(乙女の塔)』という人気の売春宿だった。経営者のマダムはドーカス(ダーキー)・ケリーと言った。ちなみにこの路地は古都ダブリンの中でも最も古い通りと言われ、13世紀には洒落たレストランや居酒屋がずらりと並んでいたというから、ここは中世以前からの歓楽通りであったと言えよう。

ダーキー・ケリーズパブがあるダブリンで最も古い通り。13世紀にはパブやレストランが並ぶ人気の歓楽街であった。

ダーキー・ケリーズパブがあるダブリンで最も古い通り。13世紀にはパブやレストランが並ぶ人気の歓楽街であった。

マダム、ダーキー・ケリー

パブの前には旗がなびき、並べた酒樽がお客を迎える。ここが18世紀には『Maiden Tower(乙女の塔)』という人気の売春宿であった。

パブの前には旗がなびき、並べた酒樽がお客を迎える。ここが18世紀には『Maiden Tower(乙女の塔)』という人気の売春宿であった。

ダーキーは上客の一人、既婚者で法執行官のサイモン・ルトレルと不倫関係にあったが、妊娠したことがわかると、さっそく愛人に養育費を要求する。ところがしたたかな愛人はそれを拒否したうえに、ダーキーを訴えた。理由はダーキーがお金を搾り取るために、魔術で彼を迷わせたこと、魔術を操るダーキーは神を冒涜する魔女だというものである。このサイモンという男は酒や女遊びを好み、品行方正とは縁のない男だったが、法執行官という立場上、警察に顔が利いたから、ダーキーに不利な状況を整えるのは簡単であった。

ダーキーは逮捕され、法執行官のサイモンは、彼女に対しての罪状を並べたてた。“魔女ダーキーは、自分の胎児を黒ミサの儀式の生贄に使い、また様々な魔術を使う魔女行為を行って、神への大罪を犯した”。この時代のアイルランドで、魔女行為は大犯罪である。しかし魔女の汚名を着せられたダーキーは裁判で無実を主張した。妊娠を理由に必死の助命嘆願もした。なぜなら18世紀当時、妊婦は死刑を免れられたからだ。しかし陪審員の一人であった助産婦がダーキーの身体を検査して、妊娠自体を否定するという展開になった。

赤い馬鉄の形の入口。アイルランドでは馬鉄は悪魔から見を守り、幸運を呼び込む印とされている。

赤い馬鉄の形の入口。アイルランドでは馬鉄は悪魔から身を守り、幸運を呼び込む印とされている。

陪審員たちが、不名誉な売春宿のマダムと、名誉市民の法執行官のどちらを信用するかは、火を見るよりも明らかだった。権力者を敵に回したダーキーに最初から勝ち目があろうはずがなかったのだ。警察の調査で、ダーキーが自分の胎児を黒ミサの生贄にしたという証拠は確認されなかったにも関わらず、結局、ダーキーは死刑を宣告されることになる。そして1746年1月7日に、売春宿から数キロ離れた場所で公開死刑となったのである。その処刑方法は実に残酷なものであった。ダーキーは絞首されてまだ息があるうちに絞首台から降ろされると、次に杭に鎖で縛られて火焙りにされたのである。こうして数時間後には、マダムの灰だけが残った、というのがダーキー・ケリーの話の結末になる。少なくともそのはずであった。

発見された新たな真実

パブに入るとまず目に入る看板。“ここは18世紀にMaiden Tower(乙女の塔)』という売春宿だったが、女主人のダーキー・ケリーは自分の子を殺した罪により1,746年に公開処刑された”と簡単な説明がある。

パブに入るとまず目に入る看板。“ここは18世紀にMaiden Tower(乙女の塔)』という売春宿だったが、女主人のダーキー・ケリーは自分の子を殺した罪により1746年に公開処刑された”と簡単な説明がある。

ところが30年以上たった1788年8月27日の新聞に、ダーキー・ケリーについて“新事実“が掲載された。歴史家が倉庫にあった誇りまみれの資料の山から発見した”新事実”によると、彼女の犯罪は、実は魔女行為ではなく、1760年の聖パトリックデー(3月17日)に、街の靴屋を殺害した事件だった。この事件で彼女の売春宿に踏み込んだ警察が、地下貯蔵室から男性5人の遺体を発見する。なんとダーキー・ケリーは魔女ではなく、実は連続殺人犯だったという訳だ。そして彼女は殺人の罪で1761年1月7日に処刑されたとなっている。だが妙なことに30年以上前の彼女の裁判記録には、靴屋殺人の記述など全くない。ゆえにダーキー・ケリーが実際は、無実の罪を着せられた不倫の犠牲者だったのか、それとも魔女だったか、あるいは女連続殺人犯であったのか、今となっては真実は闇の中である。

浮かばれぬ魂

11世紀に建てられたクライストチャーチ大聖堂。驚くべきことだが、中世からこの神聖なる場所のすぐそばに売春宿や酒場があった。

 

11世紀に建てられたクライストチャーチ大聖堂。驚くべきことだが、中世からこの神聖なる場所のすぐそばに売春宿や酒場があった。

11世紀に建てられたクライストチャーチ大聖堂。驚くべきことだが、中世からこの神聖なる場所のすぐそばに売春宿や酒場があった。

ただ一つ言えそうなことは、200年以上たった今もダーキー・ケリーの魂と無念さが、この地上にとどまっているのではないかということだ。なぜならクライストチャーチ大聖堂を挟んで反対側にある12世紀に建てられた聖オドゥンズ教会(http://www.heritageireland.ie/en/dublin/staudoenschurch/)の階段のふもとに、彼女の幽霊が出るからだ。彼女の幽霊は40段ある階段のふもとに佇んでいると言われる。この階段の別名は『地獄』と聞く。聖オドゥンズ教会の40段の階段を降りると外塀があり、そこには黒い鉄扉がはめ込まれている。中世にはこの扉の外に、病人や売春婦がたむろし、死体も多く打ち捨てられていたらしい。まさにその階段下の扉の外には地獄のような陰鬱な光景が広がっていたのだろう。

聖オドゥンズ教会。ダーキー・ケリーがなぜこの教会の階段に現れるのかは謎である。

聖オドゥンズ教会。ダーキー・ケリーがなぜこの教会の階段に現れるのかは謎である。

聖オドゥンズ教会の横にある40段の階段。別名『地獄』(への階段)。階段のふもとには扉があり、中世には扉の外に、病人や売春婦がたむろし、死体が打ち捨てられていたからだが、静かで神聖な感じすら漂う。

聖オドゥンズ教会の横にある40段の階段。別名『地獄』(への階段)。階段のふもとには扉があり、中世には扉の外に、病人や売春婦がたむろし、死体が打ち捨てられていたからだが、静かで神聖な感じすら漂う。

昼間でも少し薄暗いこの階段のあたりには、麻薬常習者や酒瓶を抱えた人々がたむろしていることが多い。しかしそんな人々やダーキー・ケリーの悲しい話を忘れてしまえば、ここは不思議な空間だ。街中の大通りのそばにありながらも、少し奥まっているからか、その喧噪に縁がないかのような、気落ちの良い静けさを提供してくれる。木々に豊かに茂った緑の葉の間から差し込んでくる柔らかい太陽の光は、きらきらと神秘的でさえある。

不幸な最期を遂げたダーキー・ケリーの幽霊が佇んでいると言われる地獄への階段のふもと。聖域である教会には入れないため、ここに立つのだという。

不幸な最期を遂げたダーキー・ケリーの幽霊が佇んでいると言われる地獄への階段のふもと。聖域である教会には入れないため、ここに立つのだという。

先日、聖オドゥンズ教会に行った時に、教会スタッフにダーキー・ケリーの幽霊について尋ねてみた。スタッフは一瞬、沈黙し「自分は政府機関に勤務する公務員という立場上、その質問には答えられない」と言いながらも、そっとスタッフバッジを外すと、こう続けた。

「では一個人としてあなたに教えましょう。僕は確かにダーキー・ケリーの幽霊が階段にいる写真を見たことがあるし、それは今でもここに保管してあります」

なぜかその写真を見せて下さいとは言えなかった。頼んでもまず見せてはもらえなかっただろうし、これは200年以上たった今では、アイルランドのあちこちに多くある幽霊話の一つとしてとどめておくのが最良なのではなかろうか。

教会の周りは1240年に建設されたダブリン市の壁が当時のままに残っている。過去からの亡霊にとって居心地の良い場所なのかもしれない。

教会の周りは1240年に建設されたダブリン市の壁が当時のままに残っている。過去からの亡霊にとって居心地の良い場所なのかもしれない。

ちなみにドーカスは、アイルランド語で暗いという意味である。まさに彼女の人生を暗示したような皮肉な名前ではないか。ダーキー・ケリーの幽霊が、なぜ経営していた売春宿ではなく、少し離れた教会横の階段に出没するのは謎だが、もしかしたら辛く悲しい胸の内を、神父か尼僧に聞いてほしいのかもしれない。しかし教会という聖域には入れないので、せめてその階段のふもとに出没するのだという話も聞いた。ダーキー・ケリーの幽霊は別名グリーン・レディとも呼ばれ、観光目玉の一つであるダブリン・ゴーストバス・ツアーでは、必ずガイドが紹介する有名な幽霊だ。

売春宿を経営し、既婚者と不倫をしていたダーキー・ケリーは、確かに不埒な女性であったかもしれない。しかし不倫相手の策略で死刑宣告を受け、炎の中で燃え尽きたことは事実である。聖オドゥンズ教会や『ダーキーケリー』パブを訪れる人々が、18世紀にダーキー・ケリーという女性がいたこと、そして彼女の人生に少しでも慈愛の気持ちを持てば、彼女の魂も少しは慰められるのかもしれない。

【ダーキー・ケリーパブ 住所】 Fishamble Street, Dublin 2. Ireland.
【聖オドゥンズ教会 住所】 Corn Market, Dublin 8, Ireland
【聖オドゥンズ教会を訪れるゴーストツアー】
http://www.hiddendublinwalks.com/haunted-walking-tour-dublin.php
【参考リンク】
https://georgianera.wordpress.com/2018/02/15/darkey-kelly-brothel-keeper-of-dublin/
文・写真/織田村恭子(海外書き人クラブ/アイルランド在住ライター)
日本の様々な雑誌に現地ニュース、歴史・社会問題、旅行、料理等、記事・エッセイを執筆。またNHK地球ラジオを始め日本のラジオ番組へもアイルランドからニュースを発信。海外書き人クラブ(http://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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