文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)
ロサンゼルスの郊外、オレンジ郡ヨーバリンダに広がる閑静な住宅街の一角に、米国第37代大統領リチャード・ニクソンの名を冠した図書館兼博物館がある。国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration、略称NARA)が運営する、れっきとした連邦施設である。
リチャード・ニクソンの名はウォーターゲート事件によって多くの人に記憶されている。悪名高いと言えるかもしれない。なにしろ、任期中に辞職した米国大統領は過去も現在もニクソンしかいないのだ。米国の歴史に泥を塗った「史上もっとも不人気な大統領」と評されることも多い。
しかし、彼の生涯をたどる展示物を丹念に見て回ると、そこには単なる悪役とは異なる印象も浮かび上がってくる。

ロビーを通り抜けると、中央にはギフトショップがあり、左側にニクソンに関する常設展示スペース、右側にはさまざまな臨時イベントが行われるスペースがある。現在は米国の建国250周年を記念する特別展示を開催中である(2026年末まで)。

どちらのスペースからも自由に歩くことができる。筆者としては、建物内の展示品を見て回る前に、いったん中庭に出てみることをお勧めする。
さほど広くはないが手入れの行き届いた庭園の奥にニクソンの生家が保存されている。小さな木造住宅だ。成功した政治家のイメージとはほど遠い質素な佇まいである。

ニクソンの生い立ちから青年時代の軌跡が興味深い。敬虔なクエーカー教徒の家庭に育ち、幼いころから家業を手伝っていたという。
高校時代はきわめて学業優秀で、ハーバード大学から奨学金つきの入学許可を得ていたほどだった。しかしニクソンは家族のそばにいることを選び、自宅の近くにあるウィッティア大学に進学した。一般的には無名の、クエーカー教義に基づく私立大学である。
高校・大学時代はアメリカン・フットボール部に所属した。控えだが練習熱心な選手だった。大学チームのコーチ、ウォレス・ジョー “チーフ” ニューマン(Wallace “Chief” Newman)氏に深く傾倒し、「父親の次に影響を受けた人物は彼だ」と語ったこともある。
大学卒業後は弁護士になり、第2次世界大戦中には自ら志願して海軍に入隊した。それが政治家になる前の経歴だ。

ニクソンの大統領在任期間は1969 – 1974年である。展示スペースには、中国訪問やベトナム戦争終結に向けた交渉といった世界史的な転換点に加えて、国内では環境保護局(EPA)や麻薬取締局(DEA)を設立するなど、現在に繋がる功績も数多く紹介されている。そしてむろん、ウォーターゲート事件についても、盗聴事件の発覚から政権崩壊に至るまでの過程が、当時の映像や資料とともに克明に再現されている。
ニクソンは多忙な政務をこなしながらも、夜は自室でひとりノートに向き合い、自分の信条や人生訓のような文章を書き綴ることを習慣にしていた。その自筆ノートも展示されている。真摯さを感じさせる、丁寧な文字である。ニクソンの格言として有名なものをいくつか紹介しよう。
“A man is not finished when he is defeated. He is finished when he quits.”
(人は打ち負かされたときに終わるのではない。諦めたときに終わるのだ)
“If you take no risks, you will suffer no defeats. But if you take no risks, you win no victories.”
(リスクを取らなければ、負けることはない。しかし、リスクを取らなければ、勝つこともない)
“Always remember, others may hate you, but those who hate you don’t win unless you hate them, and then you destroy yourself.”
(いつでも憶えておきたい。君を嫌う人がいるかもしれない。しかし、その誰かを君が嫌わない限りは、彼らが勝つことはない。嫌うことは自分を滅ぼすことだ)
*()内は筆者訳。
いかにも生真面目で勤勉な人格が伝わってこないだろうか。ニクソンが尊敬していたという、アメフトのコーチが言いそうな言葉でもある。もっとも、あまりにも根性論的にストレート過ぎて、時代が求める自由な雰囲気には合わなかったかもしれない。
ニクソンの辞職から半世紀以上が過ぎ、没後からも32年となった現在から振り返ると、やはり米国のみならず世界の近代史を語るうえで欠かせない人物であったようだ。良くも悪くも。
リチャード・ニクソン記念図書館兼博物館(https://www.nixonfoundation.org/)は鉄道のフラトン駅(Fullerton)から市バスで約40分のバス停(Yorba Linda-Eureka)そばにある。ロサンゼルス中心部からはやや距離があるが、歴史に興味のある人にはおすすめする。

最後に、この施設が属する「大統領図書館」という制度についても触れておきたい。これは歴代大統領の公文書や記録を保存・公開するための仕組みであり、単なる記念館とは異なる。運営は国立公文書記録管理局(NARA)が担い、研究機関としての役割と一般向け展示施設としての性格を併せ持つ。
制度の原型を築いたのは第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトである。彼が自らの文書を国家に寄贈したことを契機に、「大統領の記録は公共の財産である」という考え方が定着した。その後は大統領ごとに図書館が設立され、功績だけでなく失政やスキャンダルも含めて記録・公開される仕組みが整えられてきた。
主な大統領図書館の所在地は以下の通りである(州・市)。それぞれが大統領の出身地やゆかりの地に設けられている。
- フランクリン・D・ルーズベルト大統領図書館(ニューヨーク州ハイドパーク)
- ハリー・S・トルーマン大統領図書館(ミズーリ州インディペンデンス)
- ドワイト・D・アイゼンハワー大統領図書館(カンザス州アビリーン)
- ジョン・F・ケネディ大統領図書館(マサチューセッツ州ボストン)
- リンドン・B・ジョンソン大統領図書館(テキサス州オースティン)
- リチャード・ニクソン記念図書館兼博物館(カリフォルニア州ヨーバリンダ)
- ジェラルド・R・フォード大統領図書館(ミシガン州アナーバー)
- ジミー・カーター大統領図書館(ジョージア州アトランタ)
- ロナルド・レーガン大統領図書館(カリフォルニア州シミバレー)
- ジョージ・H・W・ブッシュ大統領図書館(テキサス州カレッジステーション)
- ウィリアム・J・クリントン大統領図書館(アーカンソー州リトルロック)
- ジョージ・W・ブッシュ大統領図書館(テキサス州ダラス)
- バラク・オバマ大統領センター(イリノイ州シカゴ)
※バラク・オバマに関しての記録はNARAが管理しているが、センター施設はオバマ財団(民間)の運営による。
NARA公式ウェブサイト:https://www.archives.gov/
文・写真 角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。











