「管理職」とはいったい何を「管理」するのか考えたことがあるだろうか? 「管理職」について、リーダーシップとマネジメントに悩む、マネジメント課題解決のためのメディアプラットホーム「識学総研」から、その考察を見てみよう。
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管理職がすべき事は「マネジメント」なのか?それとも「管理」なのか?
あなたが管理職として求められている役割は、以下2つの内、どちらですか?
A.自組織をマネジメントする事
B.部下を管理する事
この質問に、自分の考えをもって明快に答えられる管理職は、実は数少ないのではないでしょうか。
管理職という言葉から「管理職の役割は部下を管理することである」と捉えられがちです。
しかし、変化の激しいこの時代、管理職に求められる役割が「部下を管理する事」で良いのでしょうか?
ここでは、創業間もないスタートアップから業界最大手の会社まで、様々なフェーズの企業で働いてきた私の体験談から「マネジメントと管理」について考えていきたいと思います。
似ているようで、実はそもそもレイヤーが違う「マネジメント」と「管理」
辞書によると、「マネジメント」とは「経営などの管理をすること」と表現されています。
一方、「管理」とは「ある基準から外れないよう全体を統制すること」と表現されています。
また、「管理職」とは、「官公庁・企業・学校などで、管理または監督の任にある職」と書かれています[1]。
言葉だけを見てしまうと、益々、その違いが分かりづらくなってきます。
では、「マネジメントを発明した」と言われるピーター・ドラッカーは、どのようにマネジメントを表現しているのでしょうか?
ピーター・ドラッカーいわく、「マネジメントとは組織に成果を上げさせるための道具・機能・機関であり、マネージャーとは組織の成果に責任を持つ者である」との事です[2]。
こうしてドラッカーの言葉を見てみると、「マネジメント」と「管理」は、そもそも”レイヤーが異なる”事項であるという事が分かってきます。
その理解を一層深めていくため、「管理職は、なぜ部下の仕事を管理するのか?」という事を、あらためて考えてみましょう。
管理職が部下の仕事を管理する理由には、
「プロジェクトの進捗が遅れており、クライアントが怒っているから」
「会議で自組織が進めている全プロジェクトの進捗報告をしなければならないから」
「部下を成長させたいから」
など様々あります。
しかし、これらは全て直接的な理由でしかなく“目的”ではありません。
全ての目的は、プロジェクトの「成果創出」にあるはずです。クライアントが怒るのも、会議で進捗報告が必要なのも、部下を成長させるのも・・・全ては仕事の成果を創出するためです。
中には「クライアントに怒られたくないから」「会議で怒られたくないから」といった考え“だけ”で部下の仕事を管理している管理職も存在するでしょう。
それでは、“ドラッカーの定義するマネージャー”としては失格となってしまいます。
ドラッカーの定義するマネージャーの役割は「組織の成果に責任を持つ」事です。つまり、「管理」は「マネジメント」を遂行するための1つの手段でしかないのです。
そうであるにも関わらず、「私の役割は、部下を管理する事だ」という勘違いをしている管理職が世の中には沢山います。
その背景には、高度成長期の名残りがあるのではないかと私は推測しています。
高度成長期、例えば自動車メーカーは、来る日も来る日も、同じ車種を大量生産していました。
昨日と同じ事を【基準から外れず】量多くさえやっていれば、業績は右肩上がりとなっていた時代です。
そこに変化は必要なく、求められるのは正確さでした。
その正確さを担保する上で、最も簡単に取り入れられるマネジメント手法が「管理」だったわけです。
その影響が今でも根強く残り、部下の管理を自らの仕事と課す管理職が、日本全国に数多く存在しているのではないでしょうか。
しかし、IT革命により情報格差がなくなった今、ビジネスにおける変化のスピードはものすごく早いです。
昨日と同じ事をやっている企業は、あっという間に置いていかれてしまう時代、変化が求められる時代となりました。
では、マネージャーは古き良き時代の「管理」を捨て、新たなマネジメント手法を取り入れるべきなのでしょうか?
・・・実は、これも違います。
管理を捨てるという事が、この時代のマネジメント手法という訳では決してありません。
正しく、「マネジメント」と「管理」の違いを理解し、使い分けていく必要があるのです。私も、その違いを理解せぬままマネジメントに臨み、数々の失敗をしてきました。
次に、その失敗談をご紹介しながら、マネジメントと管理の違いについて、更に深く考えていきたいと思います。
管理職としての私の失敗談
私がグループリーダーというポジションで、初めてメンバーのマネジメントを請け負ったのは、新卒入社して4年が経過した26歳の頃のことでした(事業・プロダクト・予算など、人的リソース以外のことは管掌外)。
その会社は創業20年で、従業員数50名程度、売上は約10億円で安定志向がやや強い会社でした。
その中で、グループリーダーの私に与えられたミッションは、「若手メンバーを一人前に育てる事」でした。
一人前になるまでは、とにかく先輩達のやり方を真似る、奇をてらったやり方をせずに、まずは徹底的に基本に忠実に仕事をする事が好まれる社風がありました。
そのような社風に乗じて、私は自分自身の役割を「メンバーが社内のルールや、既存のやり方から逸脱しないように監視すること」と誤って認識していました。
しかし、このような考え方では、メンバーが「会社をもっとよくしよう!」と考え、純粋な気持ちでぶつけてきた疑問・質問に正面から答える事が出来ません。
「それが決まりだから」「部長がそう言っているから」という形で、メンバーにとって最も”ウザい”であろう応えを返していました。
「コイツ、自分の意見がないな・・」
「アイツ、上司から怒られない事を最優先に考えてるな・・」
きっと、そう思われていたに違いありません(私がメンバーなら、そう思います)。
そんな私がグループリーダーを務めるチームは、あえなく半年ほどで解体されました・・・。
また、逆パターンの失敗もあります。
創業半年で従業員数5名で、成長志向が極めて強い会社の企業に入社して3年が経過し、従業員数が20名近くまで拡大した頃の話です。
当時の私は、前職での失敗を踏まえ、また”ド”ベンチャーに勤めているという自意識から「マネージャーの役割は、部下の自発性を引き出す事であり、優秀な1人の人材の閃きが事業を急成長させる」という誤った認識をしていました。
自発性、閃きという言葉にかこつけて、口うるさい管理は一切せず、とにかく褒めるマネジメントをし、業務フローも個人任せでした。
もう、みなさん想像がついてしまっているかもしれませんが、その結果は惨憺たるものでした。いつまで経っても自分の手元から仕事が離れず、ひたすら自分で仕事を抱え込む「デスマーチ一直線」・・・。売上は1.5億を手前に頭打ちとなりました。
管理をしても上手くいかない・・。
しかし、管理をしなくても上手く行かない・・。
今だから笑って言えますが、若かった頃の私は、そんなジレンマを抱え、悶え苦しみました。
では、当時の私は一体どのように自分自身の役割を捉えれば良かったのでしょうか?
管理職の役割は、企業フェーズや組織目標によって変わってくる
その後、私は転職し、上場を目指し、ガバナンスに対して重きを置く創業10年・従業員数60名・売上が約3億円の企業、創業100年を優に超え業界最大手、従業員数250名超の企業など、様々なフェーズの企業に勤めました。
その中で見えてきた事は、企業規模あるいは組織目標、または事業のフェーズ等によって、管理職に求められる役割は大きく変わってくるという事です。
部下のモチベーションだけ上げていればいい訳ではありませんし、管理をしなくてよい訳でもありません。
かと言って、管理ばかりやっていても、私のように失敗をしてしまいます。
大事なのはバランスです。
今この瞬間、自組織のマネジメントにとって重要な要素は何であるか。
重要な要素にウェイトを置いたマネジメント施策を用意しつつ、他の要素についてもバランス良く気を配り、手を抜いてはいけません。
管理職が少しでも気を抜いたならば、とたんに、その組織には悪い癖がついてしまいます。
例えば、「今月は期末だから、とにかく売上だ!朝礼も無くして、ひたすら営業しよう!」となると、その組織のPDCAサイクルは一気に停滞します。
また新規事業立ち上げの際に、ほんの1ヶ月だけ朝礼を中止した事もあります。
結果、1か月後にはメンバーの活動状況が全くと言っていいほど、見えなくなりました。
よく行動を共にするメンバーについては辛うじて行動量を把握できていましたが、それ以外には目が届かず、数値に基づいた抜本的な対策を打ち立てられない状況に追い込まれました。
そして、私だけが新商品を売ることができて、メンバーは全く売れない、という最悪の状況が出来上がりました。
私はプレイヤーとして動き続けます。
私がプレイヤーとして動き続けた事で、メンバーに対するマネジメントは益々疎かになりました・・・。
マネジメントに必要な要素は、何か一つだけではなく、常に複数存在するのです。
自組織のマネジメントに必要な要素は何なのか?出てきた答えに簡単に飛びつかず、深堀を繰り返し、全てを洗い出した上で、出てきた全ての要素にバランス良く気を配っていく必要があるのです。
このことを腹の底から理解し、実行するのは、なかなか難しい事です。少なくとも若い私には、とても難しかったのです。
管理職が抱えるジレンマ
そして、ただでさえマネジメントは難しい上に、マネジメントを”成功させ続ける”中で、管理職は、ある一つのジレンマを抱えます。
【事業が上手くいけばいくほど、事業のフェーズは変わっていく。】
【事業のフェーズが変わっていくと、求められるマネジメント手法も変わっていく。】
つまり、【事業が成功すればするほど、マネジメント手法を変えなければならなくなる。】と言う事が出来ます。
これは、管理職にとって辛い事です。
自分たちは成功しているのに・・・絶妙なバランスの上に成り立っていた昨日までのマネジメント手法を変えなければならなくなる。
更なる事業成長のために、苦労を重ねてたどり着いた絶妙なマネジメントの成功パターンを簡単に捨てられるほど、人は単純ではありません。
そのため、経済成長を体験した世代のビジネスパーソンは、未だに管理一辺倒のマネジメントをしてしまいがちなのではないでしょうか。
成功体験を捨て、やり方を変えるには
では、成功体験を捨て、新しいやり方を取り入れやすくするには、どうすれば良いのでしょうか。
私の体験上、最も効果の高かった事は「他社の優秀なマネージャーの現場でのやり方を見ること」でした。
私がマネジメントに悩んでいた頃、たまたま、他社と一緒に事業に取り組む機会があり、リアルな現場における他社マネージャーの言動を見る事ができました。
そのマネージャーは素晴らしく、柔らかさと厳しさ、勢いと正確さ、アイデアとロジック、といった相反する二面をメリハリよく発揮しながら、部下を牽引していました。
会議一つとってみても、そのマネージャーの運営手腕は素晴らしいものでした。
例えば、ブレストの場は意見闊達に和気あいあいとした雰囲気で進められる一方、進捗報告の場は非常にピリピリとしたムードで論理に欠ける発言は絶対に許されないような厳しい雰囲気がありました。
普通、進捗報告をピリピリムードで行っている組織の場合、ブレストの場ではあまり意見が出てこなくなってしまいがちですが、その優秀なマネージャーのもとに運営される会議は全く違っていました。
そのマネージャーが、マネジメントに必要となる様々な要素に、日々細やかに気を配っている事が伝わってくる会議風景でした。
更に驚くことに、その方に限らず、その会社のマネージャー陣は全員がマネージャーとしてとても優秀でした。
まるで、詰将棋のように先の先まで考えたマネジメントをしているのです。
自分のレベルが、どれだけ低いかを思い知らされました。
その事によって、私は、それまでの自分のやり方に対する執着を捨て去る事ができました。
「俺はマネジメントを単純に捉えすぎていたんだな」と。
みなさんもマネジメントに悩んだ時は「優秀なマネージャーのマネジメント」を”見学”する機会を持たれると良いと思います。
「マネジメントと管理」以外にも、「メンバー同士の親密さと業務連携の円滑さ」「熱意と努力と成果」「部署の雰囲気と部署の成果」などなど・・・。
混同してしまいそうな複数の事象に対して、管理職はそれぞれにしっかりと向き合っていく必要があります。
それは、まるで永遠に続く禅問答のような苦しい世界かもしれません。
マネジメントに抜本的な正解はありませんが、その禅問答を楽しめるようになった時、管理職としての能力は飛躍的に上がっているのではないでしょうか。
【参照】
[1]:goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/
[2]:ピーター・F・ドラッカー「マネジメント[エッセンシャル版]–基本と原則」ダイヤモンド社(2001)
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いかがだっただろうか。さまざまな局面が存在する「管理職」だが、その名称にとらわれることなく、円滑に組織を運営していくことを求められるのが真の「管理職」ということではないだろうか。
引用:識学総研 https://souken.shikigaku.jp/