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文/鈴木珠美

母のペットロス症候群

突然の別れが引き起こした喪失感。後悔し、無気力になり、悲しみに沈んだ

【前編】はコチラ

犬が亡くなった日、私は会社が休みだったこともあり、母と一緒に病院へ向かい、ムクを引き取りに行った。そこには冷たくなったムクがいた。母はムクを抱きしめると涙をポロポロ、ポロポロ流した。人目をはばからずに涙をこぼしたのは後にも先にもない。

家に戻ってからもムクの側から離れない。留学中の弟からも電話が入った。父も私も弟も悲しいのだが、母が普通の状態を保てないほど、全ての気力を失っていたので母のサポートが先決だった。

まずは火葬。これを済まさないことには母がムクから離れない。父も私も、事務的にたんたんとやるべきことをこなした。火葬を終え、骨壺に骨を入れてひとまず我が家に持ち帰った。1日、1日、また1日と過ぎ、1週間が過ぎた。母はどんどん痩せていった。

「東京に連れてきたせいかもしれない。東京に来なかったらムクはもっと長生きができた」

「環境が変わってここの暮らしが辛かったのよ」

「寝るところもトイレの場所も違うし、お庭もないし。かわいそうなことをした」

母は毎日、毎日、後悔し泣いた。

会社で仕事をしているとき、携帯電話が鳴った。父からだった。

「今日は早く帰れるか? ひとりだと全然食事をしていないから、頼む」

社会人2年目だったこともあり、また当時は先輩方々より先に帰ることが許されない空気だったのだが、私もなるべく早く帰るようにした。父もそうだ。このままではムクの後を追いかねない……と、周囲が心配するほどに母は落ち込んでいた。

毎日何をする気力も無く、ただムクを抱きしめられないことを嘆く日々。食欲も無く、夜も眠れない日々が続いているようだった。もともと持っていた片頭痛も重くなり、何をするにもやる気が起きず、母は家の中に閉じこもっていた。何とか元気を取り戻してほしくてあれやこれやと話しかけるのだが、成す術は無く、ただなるべく母といっしょに過ごす時間を作ることしかできなかった。

私の家族はいつも各々好き勝手にしていた。私は大学から東京で1人暮らしを始め、弟は海外留学の道を選び、父は仕事に専念する日々。母は家族の心配ばかりし、唯一母に寄り添う存在といえば犬のムクだけだった。

最初の1カ月、母は犬に対してこうすればよかった、私のせいだと後悔ばかりを口にしていた。家族はただ、母の話を聞き「そうじゃない、ムクは幸せだった」と繰り返した。

もしこれが普段の会話なら同じ話を繰り返す母に対して、早く結論づけたくて、イライラして口喧嘩に発展するところだが、そのときばかりはどれだけ同じ話を繰り返してもていねいに聞き、受け止めた。母の落ち込む姿を見て、ムクの死にもう少し猶予があったならと何度も思った。死に向き合う心の準備なく突然、家族の前からいなくなってしまうのは本当に辛い。

そしてゆっくりとだが母は普通の食事ができるようになり、買い物へ出かけられるようになり、父や私に食事を作ることができるようになっていった。そして会話の内容も後悔する話から、ムクがどれだけ可愛かったか、どれだけおひとよしだったか、面白かったエピソードや楽しい思い出の話が増えていった。

1年近く経ったある日、母が「そろそろ納骨しないとね」と言った。家の近くにあるペット霊園のチラシを持ってきて、ここはどうだろうかと母から切り出した。

【次ページに続きます】

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