文/鈴木珠美
拝啓、父様、母様。
~娘の回想~
小さい頃から我が家には何かしらの生き物がいた。それは金魚であったり、カブトムシであったり、ハムスター、手乗り文鳥などなど。手乗り文鳥は卵を産み、ヒナがふ化し、いっとき10羽以上もいた。最初は私や弟が「飼いたい!」と熱心に要望し飼うことになるのだが、いずれその世話は母が中心となる。それは初めて我が家にやってきた犬に関しても同じ。ダックスフンド、ポメラニアンと飼い、最後に我が家にやってきた犬は父が引き取ってきたシーズー。
父の親戚の友人の家で3匹のシーズーが生まれて、引き取り手に困っているという話を聞いた父は犬を見に行き、私たちに相談もなくその日のうちに引き取ってきた。
「2匹ははしゃぎまわっていて元気いっぱいだったけど、こいつはのんびりと寝ていてさ。車の中でも本当におとなしかったよ」
私と弟は生まれてまもない子犬を見て大はしゃぎだった。母はというと相談も無くいきなり犬を引き取る暴挙に出た父に、一瞬は「どうするの!?」と声を荒げそうになったが、子犬の顔を見た途端に顔がゆるみ声色が変わる。
「どうせ面倒は私が見ることになるんだし、犬がいたら出かけるのも大変だし」とぶつぶつ文句は言うものの、言葉と表情が合っていない。じいーとおとなしく座っている子犬は少し体を震わせながら小さいシッポをフリフリ振った。その様子を見ればほとんどの人の目尻が下がるだろう。そもそも母は幼い頃からお嫁に行くまで犬とともに暮らした経験がある、根っからの犬好きだ。
急場をしのぐ必要最低限のグッズは元の飼い主が用意してくれていた。だが、その日のうちに犬用のサークル、ベッド、トイレシーツや食器など買いそろえた。名前はムクムクしている見た目から単純だが父が“ムク”と名付けた。我が家で飼うペットに対して父が名前を付けたのは初めてだった。自分が引き取ったこともあり、父もすでに愛情が芽生えているようだった。
その日以来、我が家は犬が中心。正確にいえば母にとって犬が最優先。すでに私は高校生、弟は中学生になっていたので、それぞれ子供は子供なりに学校や友人付き合いが忙しい時期だった。当時父も仕事が忙しく、ほとんど家にはいなかった。そうなると愛犬ムクと、過ごす時間は母が断然多くなる。
ムクが我が家に来てからの母の一日はこうだ。
朝はムクに「おはよう」と挨拶することから始まる。ムクは無邪気に母が起きてきたことに大はしゃぎ。ムクのごはんをあげて、母を子供たちの弁当作りと朝食の準備。子供たちはぎりぎりまで寝て、起きたと同時に朝ごはんをほおばり、すぐに学校へ出かけてしまう。
父は出張続きでほとんど家にいない。父がいない朝は、子供たちを見送ると母とムクが家の中に残された。母が掃除機をかけているときは少し離れたところから母を見守り、母が洗濯物を干しに庭に出ると、ムクは窓際で母の様子を見ながら日向ぼっこをしていた。天気が良い日は散歩へ出かけ、ときには車で30分ほどの場所にある母の実家へムクとドライブに行くこともあった。片頭痛持ちの母がソファで伏せっていると、ムクはそっと母に寄り添って一緒に寝ていた。ムクのごはんをあげるのも、シャンプーも爪切りもほとんどは母が行い、ムクの毎日のブラッシングは母の日課だった。
父も弟も私ももちろん愛犬をかわいがったし世話もしたけれど、母と犬が過ごした時間を考えれば微々たるもの。母がムクに与えた愛情はごく自然に深くなっていった。
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