父親からちゃんと愛されていた
高校も祖父母の家から通い、その中で祖父は病気で亡くなってしまう。その後は祖母と一緒に暮らすが、大学進学で迷っている時期に祖母が施設に入ることが決まる。そのことで史帆さんは地方の大学に進学することを決意する。
「私が地方の大学に行き、祖母が施設に入るのは同じタイミングになりました。祖父母の家が空き家になったことで、母親が祖母が亡くなるまでその家を定期的に掃除していたんです。そのときに母親が、祖母が部屋に大切に保管していた手紙を見つけて、それを私に見せてくれました」
その手紙は、父親から祖父母に宛てたものだった。毎月送られていたという。
「その手紙の内容は、私のことを預かってくれてありがとうございますというお礼から始まって、私が必要としているものがないか、お金は足りていますかという心配が綴られていました。今まで深く考えなかったけれど、私が祖父母の家にいることで、両親は祖父母に私の生活費としてお金を渡していたんですよね。父親は私に興味がないと思っていたなんて、なんて親不孝な子どもだったんだろうと痛感させられました」
大学に進学してからも、祖母がいる施設には定期的に顔を出していたというが、両親が暮らす家には顔を出すことはほとんどなかった。しかし、その手紙を見つけてからは定期的に帰るようにしたという。
「帰っても、父親と2人で言葉を交わすことはほとんどありませんでした。お礼を言うのも恥ずかしくてできなくて。父親に祖父母に宛てた手紙を見つけたことは、結婚式の親への手紙で初告白しました。泣きすぎて、内容はほとんど伝わらなかったみたいですけど。その後にその手紙を父親に渡したのですが、泣きながら受け取ってくれました」
父親は娘に対して、器用に愛情を表現できないところがある。史帆さんの家族のように離れて暮らしているとその不器用さはより顕著になるのかもしれない。しかし、距離など関係なく、絆のある親子は完全に離れることはない。そのことを史帆さん家族は証明してくれた。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
