ある程度の歳になりますと、よほど親しい友人でもない限り、本音で意見してくれたり、苦言を提してくれる人などいないものです。とはいえ、考え方の柔軟さを保ち、激しく変化する社会へ順応するためには、何らかの指針を持っていた方が良いのかもしれません。
温故知新の諺の如く、先人が残してくれた言葉や金言にヒントを得てみては如何でしょう。第33回の座右の銘にしたい言葉は「清濁併せ吞む」(せいだくあわせのむ) です。
目次
「清濁併せ吞む」の意味
「清濁併せ吞む」の由来
「清濁併せ吞む」を座右の銘としてスピーチするなら
最後に
「清濁併せ吞む」の意味
「清濁併せ吞む」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ」とあります。この四字熟語は、文字通り「清い水も濁った水も一緒に飲み込む」という意味です。しかし、その本質は単なる水の話ではありません。
人生には良いこと(清)も悪いこと(濁)もあります。この言葉は、そのどちらをも受け入れ、包括的に物事を見る姿勢を表しています。つまり、物事の良し悪しを極端に判断せず、バランスよく受け止める智恵を意味しているのです。
「清濁併せ吞む」の由来
この言葉にはこれといった出典があるわけではありませんが、大海が清流も濁流も隔てなく受け入れることに由来するといわれています。
シニア世代の私たちは、人生の浮き沈みを数多く経験してきました。その経験こそが、「清濁併せ呑む」という考え方を実践するための最高の土台となるのです。年を重ねるほど、固定観念に縛られがちですが、「清濁併せ呑む」の姿勢は、新しい考え方や経験に対して心を開く助けとなります。
また、すべてを完璧にしようとするのではなく、良いこと悪いことを含めて受け入れる姿勢は、心の負担を軽くできますし、他者の良い面も悪い面も受け入れることで、より深い人間関係を築くことができます。
「清濁併せ吞む」を座右の銘としてスピーチするなら
スピーチの際には「清濁併せ呑む」という言葉のその意味を説明し、この言葉を座右の銘としてきた自身の経験を簡単に共有すると良いでしょう。以下に「清濁併せ吞む」を取り入れたスピーチの例を紹介します。
次世代へ伝えたい「清濁併せ吞む」の精神についてのスピーチ例
今日は、私の人生の指針となっている言葉について、少しお話しさせていただきます。その言葉とは、「清濁併せ呑む」です。この言葉は、文字通りには「きれいな水も濁った水も一緒に飲み込む」という意味です。しかし、その本質は、人生における良いことも悪いことも、すべてを受け入れる姿勢を表しています。
私が60歳を過ぎた頃、突然の病に見舞われました。それまで健康だった私にとって、これは大きな試練でした。しかし、この経験を通じて、健康の有難さを改めて実感し、同時に病気と向き合う勇気も学びました。まさに、人生の「濁」の部分を受け入れ、そこから新たな学びを得たのです。
その後、病を乗り越え、孫の誕生という喜びを経験しました。小さな命の誕生は、まさに人生の「清」の瞬間でした。この喜びもまた、過去の苦難があったからこそ、より深く味わえたのだと感じています。
若い頃の私は、良いことばかりを求め、困難を避けようとしていました。しかし、「清濁併せ呑む」の精神を学んでからは、人生のあらゆる側面を受け入れる心の余裕が生まれました。
私たちシニア世代は、長年の経験を通じて、この「清濁併せ呑む」の智恵を最も理解し、実践できる立場にいます。この考え方を若い世代にも伝えていくことが、私たちの役割の一つではないでしょうか。
最後に
「清濁併せ呑む」という言葉は、シニア世代にとって、人生をより豊かに、より味わい深いものにする力を秘めています。長年の経験を持つからこそ、この言葉の真髄を理解し、実践することができるのです。シニアライフは、まだまだ可能性に満ちています。「清濁併せ呑む」の智恵と共に、新たな挑戦と発見の日々を過ごしていきましょう。
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com