母親のために生きていた
病欠からの無断欠勤を続けたことで仕事をクビになってしまう。そのことに対して母親は由紀さんを責めることなく、「次がある」と一緒に新しい仕事を探してくれたという。しかし、その行動に由紀さんは追い詰められたと振り返る。
「就職が、唯一自分で探して決めたところだったんです。高校も大学も親が勧めたところでしたから。自分で決断したところだったのに、失敗してしまった。就職先を一緒に探そうと言われたとき、母親から『ダメだからこの子は手助けしてやらないといけない』と思われている気がしました」
そこから就職はできるも続かず、正社員も難しくなっていった。その度に母親はアドバイスをしてきたが、一度母親に対して言い返してしまったことがあり、その後に母親は一切何も言ってくれなくなったという。
「『うるさい』と怒鳴ってしまって。それで母親は私に対してもう諦めたんだと思います。諦めてくれたことで気が楽になると思ったんですが、そうなると自分が何をしたいのかまったくわからなくなったんです。やりたいことが見つからない。こんな風になりたいという夢もない。かといって一人で生きていける強さもない。ただ無職という状態になるのが怖いので働いているだけになっていました」
現在、由紀さんは母親と離れ、1人暮らしをしている。母親との暮らしをやめたきっかけを作ったのは母親自身。由紀さんの状態を母親はすでに結婚して家を出ていた姉に相談していて、姉から1人暮らしを提案されたのだという。姉は自分の家の近くに由紀さんが暮らすアパートを借りてくれ、「これからは自分のために生きること」と伝えられた。
「私は今まで母親のためにとは考えていましたが、何かに対して母親のせいだとは思っていませんでした。仕事を辞めてしまうのは母親の意思ではなく、自分の意思だからです。でも、姉はそれをおかしいと言い、一度母親から離れろと私に提案してきました。
自分のために生きて、何かに行き詰ったときには『私も母もいる』と言ってくれたんです」
由紀さんは今もなりたいことを見つけることができていないそう。しかし、やりたくないことがわかってきたおかげで仕事は前よりは続くようになり、自分に合った働き方を探している途中だという。
多々ある選択肢の中からやりたいことを見つけていくことだけが正しい道ではない。やりたくないことを削っていくことでも、自分の居心地のいい場所を見つけることができるはずだ。親はその選択肢を親の意思で削ってはいけない。親はあくまでも子どものサポートの一員にすぎないのだから。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。