写真はイメージです。

NHK『日曜討論』ほか数々のメディアに出演し、シニア世代の生き方について持論を展開するライフ&キャリア研究家の楠木新さん。人生100年時代を楽しみ尽くすためには、「定年後」だけでなく、「75歳からの生き方」も想定しておく必要があると説きます。楠木さんが10年、500人以上の高齢者に取材を重ねて見えてきた、豊かな晩年のあり方について紹介します。

心のタイムトラベルで老年期を輝かせる

2021年6月にフランス映画『ベル・エポックでもう一度』を鑑賞しました。70歳前後の主人公は、かつては売れっ子イラストレーターだったのですが、デジタル化された社会についていけず、新聞社を解雇され、妻にも愛想を尽かされてしまいます。

冴えない日々を送る父を元気づけようと考えた息子が、友人が始めた「タイムトラベルサービス」をプレゼントする。このサービスはデジタル技術を応用して顧客が行ってみたいと希望する過去の時代に連れていってくれるというものでした。ヘミングウェイがいた部屋を訪問したり、亡くなった自分の父親とレストランで互いに語り合ったりしている人が紹介されます。

そんななか、主人公は「運命の女性と出会った1974年のリヨンに戻りたい」とリクエスト。70年代のおしゃれなカフェや街並み、レトロファッション、当時の音楽も再現され、彼の青春の一日のすべてがそこに蘇っていました。映画の後半、運命の女性と出会って見違えるほど元気になった主人公は、虚構の世界を生き続けたいと願うようになります。妻に内緒で別荘を売り払い、タイムトラベルサービスの延長に全財産を注ぎ込みます。主人公の過去への憧れが現実にも入り込んでくる過程がユーモアを交えて描かれていました。

多くの人はかつて自分が生きた時代や場所をもう一度体験してみたいと思うことがあるでしょう。このタイムトラベルサービスが可能ならその夢が実現します。子どもの頃や過去の自分と出会う場を持つことは一つの居場所の発見にもつながります。

ちなみに主人公が戻りたいと考えた1974年6月といえば、私は神戸文化ホールで山口百恵さんのコンサートに行ったことを思い出します。大学1年生で初めて購入したコンサートチケットでした。森昌子・桜田淳子・山口百恵の「花の中三トリオ」のうち、山口百恵さんが二人に人気やヒット曲で後れをとっていたのが残念でしたが、『ひと夏の経験』が大ヒット。コンサートの冒頭で、この曲のイントロとともに彼女がステージに登場した時、会場の多くのファンが舞台に向かって走り出したのを今も覚えています。実は私もそのひとりでした。

ノスタルジーに浸ることは、新たな目標や価値を見出す絶好の機会になります。昔の家族との語らい、大切な人との出会いや過去の思い出を反芻することは今後に向かう活力になると、私は思うのです。

高齢になった自分を癒してくれるのは、他人ではなく、自分自身の過去であり、思い出なのかもしれません。

過去の思い出に浸ると心が若返る

過去の物事に思いを馳せるという意味での居場所は本当に人それぞれです。音楽一つとってもクラシックから洋楽、演歌、ニューミュージック、アイドル歌謡など、曲に関心がある人もいれば、アイドルなどの特定の人に焦点を当てる人もいます。映画では、洋画も邦画もあってジャンルも数え切れません。

演劇、演芸などの舞台芸術が好きな人がいれば、読書歴、旅行歴など自身が積み上げたものを大切にしている人、レトロなモノの収集に喜びを感じている人、サッカーや野球など、スポーツを通して過去の思い出に浸ることで元気になる人もいます。

生まれ育った故郷への愛着の念が、年を重ねるごとに強くなっていくという人、親に対する感謝をあらためて語る人もいます。

これらは先の映画の話と同様、一種のタイムトラベルサービスと呼べるものかもしれません。最もポピュラーなのは音楽でしょう。私は70年代ヒット歌謡曲のファンですが、不思議なことに25歳までにヒットした曲だと過去の思い出が伴っています。それ以降の曲はそれほどではありません。『木綿のハンカチーフ』を聴くと、その曲のメッセージというよりも、曲を聴いていた時の感情とか、一緒にいた人の記憶が蘇ってくるのです。

私は今も上京した時には、明治大学にある阿久悠記念館に立ち寄ることがあります。東京の神田神保町近辺には、思い出を蘇らせる店が多く、まさに時間が経つのを忘れてしまいます。昔のレコードだけに限らず、パンフレットなどの映画関係のもの、野球雑誌にプロレスやボクシング雑誌などを扱っている店舗もあるので、見て回るだけで過去に戻ったような気持ちになれます。

昔の記憶を蘇らせることを「ライフレビュー」といい、認知症の治療にも使われる方法だそうです。なぜ脳に良いのかといえば、当時の感情や記憶を思い出すことで脳がその時の状態に戻るからだということです。昔好きだった曲を聴くと、急にその頃のドキドキワクワクした感情が戻ったり、ある匂いを嗅いだらその瞬間を思い出したりといった現象と同じ原理だそうです。

老人向け施設で昔の曲を歌い出すと部屋全体が盛り上がるというのも納得できます。90歳を超えた認知症の親を自宅で介護している人は、親は昔やっていた囲碁のルールは忘れておらず、麻雀の点棒の数え方も間違わないので驚いたという話を聞いたことがあります。

過去に自分が過ごした場所を歩いてみるのもいいでしょう。生まれ育った地域をウォーキングしてみる、学生時代の下宿のあった場所を訪問してみる、若い頃に住んでいたアパートや、かつての会社があったビル周辺を巡る……。

私は新入社員当時通った喫茶店の2階に上がる階段の匂いや、手すりの冷たさが40年以上経って蘇ってきたこともありました。どんな経験であれ、過去の思い出に触れると心が若返るような気持ちになるのは不思議なことです。

* * *

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楠木新(くすのき・あらた)
1954年、神戸市生まれ。1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に経営企画、支社長などを経験する。在職中から取材・執筆活動に取り組み、多数の著書を出版する。2015年、定年退職。2018年から4年間、神戸松蔭女子学院大学教授を務める。現在は、楠木ライフ&キャリア研究所代表として、新たな生き方や働き方の取材を続けながら、執筆などに励む。著書に、25万部超えの『定年後』『定年後のお金』『転身力』(以上、中公新書)、『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『定年後の居場所』(朝日新書)、『自分が喜ぶように、働けばいい。』(東洋経済新報社)など多数。

 

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