離婚は難航したが、半年かけて説得した
55歳から60歳までの5年間、信一さんはほとんど自宅にいなかったという。
「平日はトレーニングと料理教室と、SNSで知り合った仲間との社交や仕事で23時以降に帰宅。朝は自宅から1時間歩いて会社にいっていたので、7時には出ていました。土日は、SNSで知り合った人と地方のボランティアに行ったり、農家の手伝いをしたりしていました」
農家の手伝いとは、災害被害に遭った花農家や果物農家での復旧作業だった。
「この世には、スーパーボランティアみたいな人がいて、その人の指示で動くんです。心を無にして、ひたすら体を動かす。20人以上の規模の人が集まり、さーっと作業をすると、効率的に片付くんです。農家さんの手伝いをしていると、気候変動や害獣被害などがより身近になります」
他にも多くの活動をしつつ、定年の日を待つ。会社からは当然、慰留されたが「辞めます」と振り切って、妻に離婚を申し出る。
「絶対に離婚しないと言われましたが、心底妻のことが嫌いというか、興味がなくなっていたので、半年かけて離婚しました。籍が入っているのも嫌だったんです。このときは、ボランティア仲間の弁護士さんに相談し、助けてもらいました。当然、謝礼は払いましたよ」
それから、ウィークリーマンションに引っ越し、念願の風呂なしアパートを探すことにするが、正面突破での審査は難航。これもSNSで知り合った人が、物件の大家さんと繋いでくれて、理想通りの6畳一間に無事に入居できた。東京都心で家賃は5万円だという。
「70代の女性の大家さんで、毎月、家賃と駐車場代を手渡しに行くんです。僕は農作業のボランティアをするうちに、全国を車で回りたいと思ったので、中古の軽のワゴンを購入したんですよ。定年した人に知ってほしいのは、金はあるとはいえ、貯金は減る一方だということ。家賃の他に光熱費や通信費、食費などで固定費の総額は15万円くらいになる。減る一方だと心もとなくなるんです。どこかの飲み屋で働きたいと言ったら、20代の男の子から“荷物配達がいいですよ。紹介料もらえますからやってください”と言われ、興味を持ったのです」
その場で荷物配達の仕事のアプリをダウンロード。
「登録は簡単で、すぐに始められました。元システム屋なので、仕組みをすぐに理解できました。間違えないように設計がされており、とてもよくできている。だから、誰にでもできる仕事として成立し、休みも取りやすいのだと思いました。ここまで便利になっても、やはり届けるのは人なんだな〜と。ドローンってわけにはいかないってことですよね」
重い荷物を運ぶこともあるので、体力と慣れが必要だったという。給料も言われているほど安くはなかった。ただ、出費もある。ガソリンや保険料はドライバー持ちだからだ。
「週3で無理せず働いて、月15万円くらい手元に残るので、まあまあ。回っている地域の民度が高いこともあり、仕事で嫌な思いをしたことはないですよ」
ドライバーの仕事を始めて3年になるが、人の役に立っている、喜んでもらっているという実感を得ながら働くのは、性に合っているという。
「行くたびに“暑いから、ジュース飲んで”と500円のチップをくれるおばちゃんとか、育児に奮闘している若いお母さんに、“大変ですね”と声をかけたら“ありがとう”と言われたとか、いろんな繋がりがあることを感じています。もし、あのとき離婚しなかったら、今の生活はない。今、楽しいし、すごく充実しています」
それは、信一さんに体力と資産があるからだとも言える。信一さんは「何よりも健康が大切」と1年に1回、10万円の人間ドックを受け、疑問点は医師に質問しながら、健康管理をしている。そんな信一さんは、来週からカンボジアに旅行に行く。カンボジアは親日国であり、500リエル札には日の丸が描かれていることを知り、興味を持ったのだという。
そんな彼の姿を見ていると、“よく生きる=ウェルビーイング”とは、自分で思考し、行動した上で成立すると確信した。人生の残り時間が見えたとき、何を得るかではなく、何を捨てるかが重要になるのではないだろうか。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。