取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたことや、親について、そして夫や妻、子どもについて思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
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特定のアーティストやキャラクターを応援する活動「推し活」は昔こそ限定的な流行だったが、今や一般化しており、経済効果は拡大している。株式会社インタースペースが運営する情報発信メディア「ママスタセレクト」では、「推し活」についてのアンケート(実施日:2024年4月20日〜2024年4月21日、有効回答数:792人、インターネット調査)を実施。アンケートでは、「ママになっても推し活をしていますか? していましたか?」の問いに「している(していた)」と答えた人は全体の58.3%にのぼった。さらに、推し活をしていると回答した人へ年間の予算について聞いたところ、もっとも多かったのは「5万円未満」(68.5%)だったが、5.7%が予算「30万円以上」と回答し、「100万円以上」も5.1%存在した。
今回お話を伺った伸一郎さん(仮名・46歳)は31歳のときに2つ年下の女性と結婚、現在夫婦で暮らしている。妻は35歳のときに乳がんを患い、部分切除後の投薬治療を続ける中でしばらくは病人である自分を気にしていた。しかし、5年目の検診を無事にパスした頃には以前のように元気な姿に戻っていた。【~その1~はコチラ】
再発で妻は死を覚悟するようになった
10年間の投薬治療を続けていた伸一郎さんの妻は定期的に病院に通い、6年目の検診もパスすることができていた。しかし、7年目の検診で治療した箇所の近くにしこりを見つかり、その後の精密検査で再発が伝えられる。一度目のがん発覚のときは気丈に振舞っていた妻だったが、今度は声を出して伸一郎さんの前で泣いたという。
「一度目のときは思い詰めることはあったものの、私の前で泣いたりすることはなかったんです。私が頼りなくて、1人のときに泣いていたのかもしれませんが。
でも、再発のときは告知されたその後に私に電話してきて、泣いていました。私は仕事中だったのですが、すぐに家に帰りました。妻は『あんなに辛かった治療をまた頑張れない』と言っていました。一度目のときにそこまで辛かったなんて、恥ずかしながらそのときに初めて知ったんです……」
妻は泣きながら「他の誰にも言わないでほしい」と伝えてきたという。
「検査をしたところ、脇に少しの転移があったものの他の臓器への転移はありませんでした。医師からは予防的な意味での抗がん剤を勧められたんですが、妻は抗がん剤を拒否しました。妻には誰にもバレないようにしたいとの思いもあり、容姿の変化が受け入れられなかったようです。私は標準治療である抗がん剤を受けてほしかったのですが、妻の意思は固く、折れるしかありませんでした」
妻の病気を周囲に伝えないことで色々な弊害が出てくることになった。
「妻はフリーランスなので仕事の都合もつけて、1週間の入院で再び胸にメスを入れました。その後の投薬は以前より強い薬を使うことになり、体重も徐々に減っていったのですが、それでも周囲にはダイエットをしたと伝え、元気に振舞っていました。でも、その分、家での落ち込みは酷かった。私の前でも泣くことはなかったのですが、『あと10年は生きるから』とか、『私のスマホなどのパスワードをまとめておくから』と死を覚悟しているような発言や行動をするようになりました」
【再発後に妻が初めて買ったのはアイドルのDVD。次ページに続きます】