表面的には授かり婚で義両親の反対を強行突破したかたちに
プロポーズを1度は保留したが、相手の真剣さにほだされて結婚を決意。それと同時に“バツ2”であることを正直に伝えたという。
「まぁ……、相手は沈黙ですよね。嘘ついた理由として『嫌われるのが怖かった』と正直に伝えました。顔を見て話せなかったので電話したのですが、『許すかどうかの答えを考えるから一度電話を切って考える』と突き放されたのでもう無理だろうなって正直思っていました。でも、彼は許してくれたんです」
しかし、次に突破しないといけない難関は義両親。結婚の挨拶での初対面だったが、義両親は「急いで結婚する必要はない」と難色を示した。その当時の気持ちを、美織さんは「37歳と33歳の私たちには反対を押し通すほどの勢いはなかった」と振り返った。
「彼も親からの反対を受けて、怯んだのか冷静になったのかはわかりませんが、『とりあえず時間をかけて説得してみよう』と結婚を保留したんです。私自身も、義両親の発言にショックを受けていたし、これからあの人たちと家族になると考えてみると愛情だけで乗り切れるわけないと思いました。だから、彼のその意見を受け入れたんです」
現在、2人は結婚して子どもも生まれて3人で暮らしている。結婚を許してもらえたかといえばそうではなく、授かり婚だった。
「私はずっと生理が不順だったし、今まで子どもが欲しいと思ったときもあったのにできなかった。それに、もう37、38歳という年齢でもあったので、もう子どもはできないだろうなって漠然と思っていたんです。でも、結婚が保留になって8か月後に妊娠がわかりました。
彼は喜んでくれました。義両親からは子どもができたことで急いで結婚する理由ができたと諦めたのか『2人で決めなさい』と突き放されました。
現在、義両親には孫が他に3人(義姉夫婦の子ども)がいるのですが、私たちの子と差を付けられているような気がしてなりません。私だけが除け者ならまだ我慢できるんですが……」
美織さん家族と義両親との関係は年に1~2度顔を合せるぐらいになっているという。美織さん夫婦の関係は今も良好で、義両親との関係も良好に進む可能性もあるが、義両親というよりも美織さんのほうが“結婚に反対した相手”と敵に近い思い込みがあるように感じた。その思い込みを捨てない限り、義両親との良好な関係は難しいだろう。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。