義母の急逝で、まったく交流のなかった義父が一人ぼっちに
義両親の第一印象は、社交的な義母に内向的で無口な義父。夫の実家は埼玉県内にあり、一人息子。孫の催促について心配したこともあったが、すべて杞憂に終わったという。
「義両親は一定の距離を置いてくれる人たちで『まぁ2人で楽しく暮らしなさい』と言い、一切あっちからは連絡してきませんでした。
それに、私たち夫婦は子どもに恵まれなかったのですが、孫の催促なんて一度もされたことがありません。義母は『こんな面倒くさがりの息子をもらってくれただけで十分』と言ってくれていました。夫の面倒くさがりで適当なところは義母似だったんですよね。嬉しい誤算でした」
義母は趣味やボランティア活動などに積極的で友人も多く、内向的な義父ともうまくいっていた。
そんな義母が急逝したのが5年前。夫の家族は中心的存在を失い、一番不安定になったのは義父だった。
「くも膜下出血でした。倒れて、そのまま……。お互いに便りがないのは元気の証と、そんなに遠い距離じゃないのに全然会っていなかったので、後悔もありましたね。義父は60代でまだ働いていたのですがすっかり気落ちをしてしまって、喪主は夫が努めました。
私も妻ということで葬儀のときには忙しかったことを理由に義父を構えなくて。全然交流がなかったのでどう接したらいいのかまったくわからなかったから、逃げてしまっていたんです」
葬儀後に夫から義父のことについて相談を受けて、愛莉さんは一緒に暮らすことに同意。しかし、義父からは「一人で大丈夫だ」と言い張り、義母のいなくなった家で一人暮らしを始めた。
「夫は一人っ子だから、いずれはそうなると覚悟はしていたんですが、思ったより早くて戸惑ったというのが正直な気持ちです。でも、反対なんてできないですよね。
そんな私の気持ちを知ってか、義父のほうから断ってきました。義母が亡くなったことも突然だったし、こっちからの要望で急に環境を変えるのはよくないと、しばらくは様子を見ることになったのですが……」
一緒に暮らすことは拒否したものの、頻繁に連絡が来るようになる。生活力がまったくない義父との別居生活はストレスの連続だった。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。