ニュースで頻繁に取り上げられるようになった激烈な猛暑、豪雨や台風。なぜ異常気象はここまで増えてきたのか。世界の気象に精通する数少ない気象予報士・森さやかさんの著書『お天気ハンター、異常気象を追う』から、私たちの暮らしに影響を及ぼす異常気象についてご紹介します。

文/森さやか

途方もない雨を降らせる「線状降水帯」

梅雨前線の幅の太さをマジックペンで書いた線だとすると、線状降水帯の幅は鉛筆の線ほどしかない。そんなに細いのに、毎年災害級の土砂降りをもたらしてくる。なぜこれほど恐ろしい量の雨を降らせることができるのだろうか。
「湯水のように」お金を使う人は、派手な浪費家とばかり思っていたが、中東では慎ましい節約家の意味になるらしい。水が気ままに使われる日本と違って、砂漠の広がる中東では水は命のように大切に扱われる。“待遇”がこうも異なるのは年間降水量の差にあって、世界平均が1000ミリのところ、日本は1700ミリ、エジプトはたった18ミリしかない。もし雨が地中に染み込まず地表にあふれていくと考えれば、一年後、日本では大方の人がすっぽり水に隠れてしまうが、エジプトではアリが溺れる程度である。

雨には慣れっこの日本人でも、このところの夏の大雨には恐怖を感じずにいられない。2021年8月には、10日ほどで900億トンの水が空から落ちてきた。盛夏にもかかわらず太平洋高気圧が南に退き、代わって北の冷たいオホーツク海高気圧が強まって拮抗し、境目に前線が居座った。

おまけにアマゾン川の流量に匹敵する大量の水蒸気が南風に乗って運ばれてきたそうだから、連日どこかで雨量記録が塗り替えられるのも不思議ではなかった。九州北部では半年分の雨が一気に降ってしまって、川が溢れ、山も崩れて民家を飲み込んだ。甲子園球児も、順延、中断、ナイター試合と、ことごとく雨に翻弄され、史上もっとも遅い決勝戦にもつれ込んだ。 

その一年前には、「我々の実力不足です」と気象庁長官が悔しさをにじませた想定外の豪雨が熊本県を直撃している。球磨川(くまがわ)が氾濫し、老人ホームが浸水、二階に逃げられなかった高齢者が亡くなった。さらに2014年には、寝静まった広島市のベッドタウンを豪雨が襲い、背後の山々が崩れ落ちて77人が命を落とした。

これらすべての大雨にかかわっていたのが「線状降水帯」である。図体こそ小さいが、途方もない量の雨を降らせる危険極まりない現象で、台風、梅雨前線と、日本を代表する大雨の二大要因の陰にそっと身を潜めて悪さをすることが多い。

近頃よく耳にするようになったが、今に始まった現象ではない。昔からその恐ろしさは折り紙付きで、集中豪雨の三分の二が線状の降水帯によるという統計もある。巷に知られる契機となったのは、先の2014年に起きた広島の災害で、認知度の高まりを受けて気象庁は、2021年6月から線状降水帯の発生時に「顕著な大雨に関する気象情報」を発表して警戒を呼び掛けることになった。定義づけも行われ、そのサイズは長さ50~300キロ、幅20~50キロほどと決められた。まさに細さが特徴的で、幅が500キロはある梅雨前線と比べるとだいぶ小さく、太いマジックペンで描いた線を前線とするなら、鉛筆やシャープペンで引いた線が線状降水帯といった具合の比率である。「夕立は馬の背を分ける」というが、線状降水帯もまさに同じような印象で、ある町では晴れているのに、その隣町では家が流された、そんな感じになる。

「線状降水帯」発生のメカニズムとは

一体どうしたら、こんなに細い雨雲の帯ができるのだろうか。その成り立ちはこうである。まず、水蒸気をたっぷり含んだ暖かな風が山の麓にぶつかって上昇し、雲を作る。上空の冷たい空気と衝突して強烈な雨雲に変貌し、その後強風によって風下に流される。このプロセスが数時間繰り返されると列となり、一方向に延びていく。これが線状降水帯の発生メカニズムの一例で、流された雲の後ろに新しく雲が生まれることから、「バックビルディング(後方形成)」という名前が付けられている。

こうしてみると線状降水帯は、まるで親、子、孫といった世代の違う雲の大家族が横並びした状態にも例えられそうである。風下ではおじいちゃん雲が衰弱していくが、風上では赤ちゃん雲が誕生し、一族は代々続いていく。恐ろしいのは、その雲一族のなかで、荒くれ者の若者世代が次々と通り抜けることである。個々の積乱雲の寿命は一時間弱と短いが、次世代の雲がどんどんやってくるから、バケツをひっくり返したような雨が数時間も続き、時に半日以上続くことすらある。

英語では、線状降水帯を列車に例えているようである。アメリカには定義こそないが、線のような降水帯は「トレイニング(training)」と呼ばれている。といっても、筋トレのことではなく、雲が列車(train)の車両のように次々と連なって列をなしているイメージから派生しているから、意訳すれば「列車型の雨」となるだろうか。2021年には、この雲列車がハリケーン「アンリ」に隠れてマンハッタンに出没、降水記録を塗り替えた。

日本ではどこで発生するのだろうか。九州など西日本に発生することが多いが、どこでも起こりうるという。2005年には東京都の住宅地に現れて5000軒の家屋が浸水したし、北海道大学の研究者らの調べでは、道内で年に平均7〜8個発生していたことも明らかになっている(1990~2010年【※1】)。

2022年から、発生の半日前から予報されるように

これからも豪雨は頻発していくという。なぜなら気温が1℃上がると、空気が含むことのできる水蒸気の量が7%増えるという自然の法則により、今後、空気中に漂う雨の素が増えていくと考えられるからである。先が思いやられるが、いい知らせもある。2022年からは、線状降水帯の発生が半日前から予報されるようになった。気象庁の予算は国民一人当たり年間500円で、「コーヒー予算」などと同情されてきたが、ようやくちょっぴり額をあげてもらって、大雨の研究費に充てるという。フレーフレー気象庁と、心から声援を送りたい。

将来も雨は増える一方なのだろうか。実は単純にそうともいえないようである。温度が上がって飽和水蒸気量が増えると、空気が水蒸気で満たされるのに時間がかかるようになって、逆に雨の降らない日も増えていく可能性があるからという。将来は、大雨か干天かの極端な天候に振り回されそうである。

「訪ね人は雨水のごとし。久しければ希(こいねが)われ、多すぎれば災難となる」(中東のことわざ)
水の価値観こそ異なる日本と中東だが、気まぐれな雨に抱く気持ちは同じようである。

※1「1990年から2010年の夏季に北海道において発生した線状降水帯の気象特性」土木学会北海道支
部論文報告集、2013年、山田朋人ほか
本節は『文藝春秋オピニオン2022年の論点100』の原稿を一部加筆・修正したものです。

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森さやか(もり・さやか)
NHK WORLD-JAPAN 気象アンカー。南米アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ、横浜で育つ。2011年より現職、英語で世界の天気を伝えるフリーの気象予報士。日本気象学会、日本気象予報士会、日本航空機操縦士協会・航空気象委員会会員。著書に『竜巻の不思議』『天気のしくみ』(共著/共立出版)。最新刊に月刊誌『世界』での連載をまとめた『いま、この惑星で起きていること』(岩波ジュニア新書)。「Yahoo! ニュース個人」では最新の天気記事を執筆。

 

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