妻と共に子育てをし、自分の仕事をあきらめた
東京都心の裕福な家庭で生まれ育った耕司さんと、地方から上京してきて、努力で人生を勝ち取ってきた妻。真逆の生活環境で育った二人は、不思議とウマがあった。
「当時は消費が賞賛されていて、クルマがなくちゃダメ、マイホームは戸建てじゃなくちゃダメ、みたいな空気があった。でも妻はシンプルに自分の頭で考えていた。私もそう。誰が何と言おうと、自分の好きなものがあればいい、というようなスタンスが好きだった」
その代表的な例として、妻は結婚式を頑なに拒んだ。当時は、中流家庭の男女が結婚するのに、給料三か月分の婚約指輪、結納、挙式、披露宴、海外への新婚旅行をするというのが“常識”だったのに、すべてを省略しようとしたのだ。
「妻は頑として譲らなかった。義母と私の母が“ペットだってもっと手順を踏んでやりとりするんだから”となだめすかして、泣き落としをして、ウエディングドレスを着た両家の会食をしました。終始妻は不機嫌で、『人生のチェックシートみたいなものをクリアするのは嫌なの』と言い、カッコいいな~と、ホレなおしたことを覚えています」
その後、すぐに長男を授かるも、妻はすぐに仕事復帰。2年後、長女が生まれても、仕事は辞めなかった。当時、寿退社をする女性が一般的だった。出産・育児については、母親が三歳までベタ付きでケアしないと子供が真っすぐ育たないという“三歳児神話”が“常識”としてまかり通っていた。そんな中、妻は産休・育休制度を使い、職場復帰した。
「当時、僕はレコード店を経営していた。朝は僕が子どもたちを保育園に送り、妻が迎えに行く生活を続けて1週間目に、『子育てしながらの仕事は無理』と妻が泣き出した。妻は完璧主義で自分を責め続ける。そして、自殺未遂もした。これはまずいと思い、『それなら僕が仕事を辞めるよ。君は思いっきり仕事をして』と言ったら、パアッと顔が明るくなった。あの時の妻の表情が一番かわいいと思っている」
【妻の友人から結婚式を挙げなかった理由を告げられた~その2~に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。