娘のことを大事に思っているのに、なぜか娘との会話がぎくしゃくしたり、煙たがられたりしている。そんな父親に対して、脳の仕組みをベースにしたコミュニケーション方法を説く、人工知能研究者・黒川伊保子さんの著書『娘のトリセツ』から、娘や家族とのコミュニケーションを円滑にするコツをご紹介します。

文・黒川伊保子

妻ファーストを貫こう

昔の父親たちは、娘たちに「身の程を知りなさい」という教育をした。我が家の身分を知りなさい、そのうえ、女のくせに、である。社会学的には問題があるこの発言も、「自我のリストラ」という観点では、悪くなかったのかもしれない(もちろん、最善の手ではないけれど)。

現代のリベラルな父親たちは、「いい子」という評価軸で、娘をチヤホヤする。この「成果主義」が、女の子の自我を肥大化させている。とはいえ、娘と恋人か友人のような関係を築いている平成、令和の父たちに、「身の程を知れ」は今さら言えまい。

現代の父が行うべきは、覚悟して「妻をえこひいきすること」だ。成果主義を止めて、存在そのものを愛する。その一方で、「娘が一番じゃない」と身の程を知らせる。父親が可愛がるべきなのは自分の妻であって、まずは、妻の女性性をしっかり認め、受けとめなければならない。

最初に徹底すべきは、妻ファーストだ。寿司屋のカウンターに座るときも、父は母の席を決めて座らせて、その隣に自分が座って、両側に子どもを座らせる。レストランに行くなら、それがファミレスでも、妻を奥のいい席に座らせて、それから自分の場所を決めて、最後に子どもを座らせるべきなのだ。

最近の父親たちを見ていると、「ほら、ここ、〇〇ちゃん座って。パパはここね」と、娘をまるでお姫様か恋人のように扱っている。可愛いのはわかるけれど、娘ファーストになってしまってはダメ。冷静になって、まず、家族のありようをきちんと構築するべきだろう。

そもそも、レストランに行って子どもを先に座らせるなんて、欧米ではあり得ない。20年ほど前、小学生の息子を連れてヨーロッパで3週間ほど仕事をしたことがある。レストランでは、4歳くらいの男の子でも先におばあちゃんが座り、母親が座るのを見届けてから自分が座っていた。男の子は、絶対に女性が座るまでは座らない。これは見ていて本当にカッコイイ。

コンサート会場でも、おばあちゃんが座り、お母さんが座り、それから安心して自分が座る。女性の間でも、年上から先に座らせるから、若い女性も最後まで立っている。

それは、家族のカタチをつくるための、最初に父親が教えるべき大事なルールだ。子どもが先にワーッと走って行って、「ここに座る!」みたいなことを許してはいけない。

妻の悪口を言わない覚悟

娘と父親は、半分遺伝子が一緒だからなのか、母親(妻)に対して、イヤだと感じるところがよく似ている。「お母さんて、ああいうところがだらしないよね」とか、「ああいうところが感情的でイヤだよな」というのが、共通している。「そうそう、わかるわかる」と、互いに結託して、チームになってしまうと、気持ちがいいし、娘との絆も強くなる。

娘の教育のために、あえて妻を反面教師に使っている人もいるだろう。してはいけないことを、娘に知らせるいい機会として。

しかし、そこは、踏みとどまらなければいけない。娘の男性観が卑しくなってしまう。娘の脳に、「男は、隙あらば、妻の粗(あら)を探している生き物」だと刻印されてしまったら、娘は無邪気に夫を信じられなくなる。ことばの一つひとつを裏読みして、傷つき、果ては「夫源病」という名の「自源病」に陥ってしまう。

しかも、そのころには、父親は「ひどい男」の代表になっているから、夫と共に忌避されることになってしまう。娘に、無邪気な幸せをあげたかったら、一人前の女性になった彼女といい関係を築いていたかったら、日常的に妻の悪口を言ってはいけない。

妻をえこひいきする覚悟

妻と娘がもめたときこそ、妻をえこひいきするチャンスである。何があっても、妻の味方をしてね。

そもそも、母と娘というのは、ストレスフルな関係だ。女性脳は、半径3メートルを制している。見るというより、触手で触るように、自分の周辺を感知して、わずかな変化も見逃さない。自分の空間を勝手に触られると、その良し悪しにかかわらず、イラッとする。そういう本能を持っている。

母と祖母(母の姑)は、砂糖と塩の置き方をめぐってず〜っとやりあっていた。信州で一人暮らしをしていた祖母は,冬場だけ畑を休ませて、私たち家族と同居していた。母の家に居候している態(てい)なので、祖母はうるさいことは何も言わないのだが、一つだけ、塩と砂糖の置く位置が気になったらしい。祖母が後片付けをすると、塩と砂糖の位置が逆になる。母は次に料理をするときに、一言も言わずに元に戻す。また、祖母が逆に置くというのを延々とやっている。

たぶん、最初は、祖母が調味料置きの台を拭くときに、つい自分の台所と同じ並びにしてしまったのかもしれないが、延々とやっている以上、いつからか「戦い」になったに違いない。

一つの家に女が二人いれば、互いの自我が、ふとぶつかり合って、理屈抜きにイラッとすることがある。たとえば、花の活け方一つ気に入らない、なんてことになってしまう。「花の活け方」自体が悪いわけじゃない。自分の思いと違うというだけで、がっかりするのである。たとえ、その活け方が「池坊流直伝」だったとしても。

これを正義で裁こうとしても、一向に埒(らち)があかない。「この活け方、美しいじゃないか。彼女、センスがあるよ」なんて口を挟んだら、地獄が待っている。

嫁姑だけじゃない、母と娘にも見えない結界がある。だから、妻と娘が揉めたときに、その理由を真摯に追究しても、意味がないのだ。

妻が娘の愚痴を訴えたからといって、別に妻は夫に娘を𠮟って欲しいわけではない。ましてや、なだめるつもりで「〇〇(娘)も別に悪気じゃないんだから」などとも言って欲しくなんかない。あくまでも、妻の味方をしながら、優しく話を聞いてくれればいいだけなのだ。

ただ、ときとして、“味方の仕方”が男性脳には難しい、男性脳は、この世を「いい」「悪い」の正義で裁きたがる。だから、なかなか、妻の味方ができない。

妻に「あの子の言うことも一理あるよ」なんて言ってみたり、娘の話に「そうなんだよ! そこが母さんの悪いところなんだよ」なんて、ここぞとばかりに尻馬に乗ったりしてしまいがち。「でもまあ、お母さんの言うことも聞いておけよ」なんて付け足したところで、それはえこひいきにはならない。

私の父は「この家は、母さんが幸せになる家だ」「母さんを泣かせた時点でおまえの負け」を使ったが、タレントのヒロミさんは、息子に「俺の女になんて口を利くんだ」と怒るそうだ。

どちらが正しい、どちらが間違っているか、ではなく、「俺の女になんて口を利くんだ」とは、なんたる説得力。妻から見ても、息子から見てもすごくカッコイイ夫であり、父親に違いない。

正義で裁かず、「父さんの大事な人に、そんな口を利かないで欲しい」という気持ちを告げる。どちらが正しいかは、あえて口にしない。これがコツだと思う。

いずれにしても、娘を幸せにするというのは、覚悟のいることだ。

* * *

『娘のトリセツ』(黒川伊保子・著)
小学館新書 

黒川伊保子
1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学料率業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。著書に『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)、『コミュニケーション・ストレス 男女のミゾを科学する』(PHP新書)など多数。

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