強権的な父親への嫌悪
当時の社会は今とは全く違った。
「20代の女性というだけで、お尻を触ってくる人もいました。あとは“結婚して子供を産まないと女として未完成だ”などと公言されていた。若手女性社員からそういうことを言われ、独身でバリバリ仕事をしている私と良子さんは悔しい思いをした。良子さんはそういうことが重なって、30歳のときに外資系企業に転職しましたけれどね」
転職しても、友情は続いていく。
「家も近かったし、おいしいものの食べ歩き、海外旅行など何度も行きました。“ここに行きたいな”と思うと、パッと彼女の顔が浮かぶ。仕事も楽しかったし、良子さんという友達もいるし、そのほかにもたくさん友達がいるので、そのままずっと結婚もせずに来たんです」
智子さんが結婚しなかったのは、父親の影響もある。
「今でいう“モラハラ”ってやつ。母には高圧的だし、空気は読めない。公認会計士だったんですけれど、仕事でうまくいかないと家族に当たって。弟なんて血が出るまで殴られて、止めに入った母が突き飛ばされたりしていましたからね。“俺が食わせてやっている”が口癖で、60代で亡くなった時は、みんなホッとしました」
良子さんの父親も強権的だった。それも二人の友情を強くした。
「ウチもそうだったんですが、お父さんだけおかずが1品多かったそうです。お母さんの体調が悪くなると、自分の世話をしてくれる人がいないと不機嫌になったりするところがとても嫌だったって。当時のラジオの深夜放送って、はがきに書いてある“若者の怒り”みたいなものも読んでくれていたんですよ。聞きながら“あ!”と思うと、明け方に良子さんから“(放送を)聞いた?”って電話がかかってくる」
恋人のような親密な関係だが、恋愛対象として見たことはない。
「良子さんはモテましたからね。映画『トップガン』に出てきそうなイケメンの外国人と付き合っていたこともある。でも父親に似ているところが少しでもあるとバイバイしていたみたいですね。私は男の人とのアレがダメで、数えるくらいしか交際したことがないんですよ」
たくさんの思い出と助け合いは、「私の結婚」ですべて台無しになる。【後編】に続きます。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。