離婚した元同期の友人が、離婚をサポート
定年まで全国を飛び回り、定年後も元同僚がCEOに就任した水産加工会社に再就職し、忙しい日々を過ごしていた。
「定年してからすぐにコロナ禍でステイホームになった。でも、ウチは惨憺たるゴミ屋敷。ステイホームをしたら、僕の心が死んでしまう。それで、その会社の事務所で寝泊まりしていたら、元同僚が“どうしたんだ?”って」
正治さんは、かつて離婚相談をした弁護士に「家が汚いくらい我慢しろ」と言われた経験があり、「ちょっとな」と言葉を濁した。
「すると、元同僚が“オマエの鬼気迫る仕事には、家庭の問題があると思っていた。それなのにあんなに仕事して立派だよ。息子さんも育て上げて、オマエはすごい”と言われて、“実は……”と妻が掃除をしないから離婚したいことを話した。すると、“そりゃ大変だったな。離婚はできるぞ。息子さんに相談しろ”と言われたんです」
コロナ禍の直前に結婚した息子に連絡をした。離婚を相談すると最初はかなり驚いたものの、そのうちに「お父さんにはいつも感謝していた。お母さんあんなんだし、離婚もいいと思う。お互い大人なんだから、お母さんの老後を見ようとか、責任感は要らないと思うよ」と言った。
「僕の世代では離婚は恥ずべきことですが、息子の世代だともっと軽いんですよ。とはいえ、離婚は一大事です。妻の顔を見ると、怒った顔が生理的に無理で離婚を切り出せない。丸め込まれてしまう。元同僚に相談すると、いい弁護士を紹介してくれたんです。今、夫のことを“モラハラだ”として、夫側に不利な離婚条件を求める妻が増えている。それを問題視している先生で、とんとん拍子に離婚に向かって進んでいった。これには、僕が仕事をしていること、家事が苦にならないこと、浮気をしていないことが自信になったと思います」
妻はゴミ屋敷の中で「こんなに頑張った私と離婚するのか!」と激怒した。
「家の中の写真を撮りましたよ。ホントにゴミだらけで弁護士も驚いていました。1か月かけて事情を説明し、何度も怒られたのですが、元同僚が伴走してくれた。自宅売却、財産分与、年金や保険……妻は“私が国保になるのは嫌だ”と言っていましたけれどね。元同僚は妻が今後住むアパートを貸してくれる大家さんまで紹介してくれたのです。実はここが最大のネックだった。掃除をしないとはいえ、息子を産んでくれて、30年間夫婦として過ごしてきた。住む家がないとか、そういう状況に追い込みたくなかった。あとは男としての責任ですよね。今なら“ジェンダー的にその発言はどうか”と言われるかもしれないけれど、僕が育った時代には、男には男の責任があった。だから離婚をしたときは、ホントにスッキリと解放された気分でした」
自宅を売却し、その他の金融資産をひっくるめた財産の総額は約5000万円。その分与は6:4で、正治さんの方が多い。離婚後の妻が住むアパートの月5万円の家賃を払うからだ。ここは、息子が契約し、家賃は正治さんの口座から引き落とされる。
「振り返ると、離婚は本当に心から大変でした。でも、ここまでできたのは、元同僚が伴走してくれたから。それに尽きます。離婚って、途中で“こんなに面倒ならまあ、いいか”と思うこともある。情や執着もありますから。元妻のことは知りませんが、それなりにやっていると思いますよ」
今、正治さんは、元同僚と一緒に住んでいる。
「彼も離婚していたんですよ。まあ、離婚の理由は女遊びですけどね。僕は一時的に住むつもりだったのですが、そのままずるずると半年が経ってしまった。彼のステキなマンションを、掃除するのは楽しいですしね。初老の男同士の同居もなかなかいいものですよ。離婚してから肩の荷を下ろした気持ちで、かなり楽になりました。夫側からも離婚はできるんだと声を大にして言いたいです」
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。