すべて推測で決めつけていたのは私
旦那さまと2人で生きていこうと思っていた矢先、妊娠中に離婚したいと告げられます。相手の両親も巻き込んでの話し合いが何度ももたれたものの、最後には真子さんの心が折れて離婚を承諾します。出産してわずか4か月後だったそう。
「離婚に発展したのは本当に些細なケンカからでした。私が妊娠しているのに家のことを手伝うという姿勢のまま、独身の頃のように飲み歩き、友人との遊びも控えてくれなくて……、それの不満を漏らしただけです。そこから『無理してまで一緒にいたくない』と言われ、過去の私への不満も言ってくるようになりました。私はまだ夫のことは好きだったし、別れたくなかった。生まれてくる子にお父さんを作りたかったし、1人で育てていく自信もありませんでした。
そこからの離婚騒動は幸いにも義両親が味方についてくれたのですが、それがより責められているように夫には見えたみたいで、家に帰って来なくなりました。私は妊娠、結婚を機に仕事を辞めていたのですが、共通の知り合いに聞くと彼は仕事には出ているけれど『私の顔を見ると体調が悪くなるからつながないでほしい』と言っているみたいで。体調のところはきっと元同僚が気を遣ってくれていただけで本当はもっと酷いことを言われていたんだと思います。
それでも子どもを実際に抱いたら変わってくれるんじゃないかと思っていました。でも結局子どものことを『かわいいと思えない』と抱いてもくれず、心がポキッと折れてしまいました」
その後、離婚は成立。出産前にあまりの不安から実家に連絡してしまったと言いますが、詳細は伝えられずにすぐに電話は切られてしまったとか。しかし、離婚したことが妹から両親に伝わっていたようで……。
「両親から電話があり、『帰って来い』と言ってくれたんです。
妊娠中の夫が帰って来なくなったときぐらいにすごく不安定になり、電話をしてしまったときは、少しの世間話だけで『お父さんが帰ってくるから』と母親に電話を切られていました。
もう親とは一生連絡できないと思っていたときに、仕事で海外に行き、現地の日本人と結婚してあまり会っていなかった妹が両親に伝えてくれたのです」
真子さんは現在も両親と広島で暮らしていて、今は父親に言い返すことができるようになったとのこと。過去に両親に抱いていた思いは消えたのかを聞いてみました。
「子育てって絶対的な正解がないんですよね。もっとこうしてくれたらよかったのにという思いはありますが、私も思い込みを事実と勘違いして、ちゃんと自分の意見を伝えようとしなかったので。振り返ると、子どもの頃もちゃんと見てくれていたんですよね。態度から嫌われていると思い込んでいただけ。大人になって実際に一度捨てられましたけど、拾ってくれたし(苦笑)。父の子育てと、自分の子どもとしての行いを反面教師にして、柔軟性を持って娘の要望を聞くように今頑張っているところです」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。