取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、広島県内で両親と子どもとの4人暮らしをしている真子さん(仮名・38歳)。広島県生まれで両親と2歳下に妹のいる4人家族。就職を機に、子育てをシステムのように管理する父親、それに従う母親から離れ、自由な手に入れたそうですが、2日に一度の電話が義務付けられていたとか。
「当時はすでに携帯があったのに、親が私の家に固定電話を引いたんです。それでやりとりするようにと。2日に一度の電話は学生時代と同じような近況報告です。母親がかけてきて途中で父親に変わるというような流れが固定されていました」
結婚前に妊娠した娘を「近所に知られたくない」と追い返した
2日のうち1日は完全に自由で、電話もシステム化されており、親の目を盗んで遊びに行くことは容易だったとのこと。その隙間を使って初めての彼氏もできたと言います。
「父親は決まり事を覆すのが嫌いな人だったので、パターンをずっと守るんです。だからイレギュラーなことはまず起こらない。だから定期の電話のノルマさえこなせばあとは自由でした。
同じ職場で彼氏もできました。彼は4つ上の男性で、隣の部署で直接の接点はなく、社内の飲み会がきっかけで仲良くなりました。初めて付き合う人で同世代がどんな感じかはわかりませんが、年齢が上だけあってすべてを受け止めてくれるような人だと思っていて、大きな揉め事もなく付き合って3年で結婚の話が出るようになりました」
正式なプロポーズも受けたきっかけは真子さんの妊娠。両親への挨拶に行ったときには怒られることは覚悟していたそうですが、父親はそんな2人を家にも入れてくれませんでした。
「妊娠が先だったことでどうしても怒られるとは思っていました。あまりに怖くて最初は黙っておこうと考えたくらい。でも初孫だし、もしかしたら喜んでくれるかもって淡い期待もありました。世論もできちゃった婚について寛容になってきた頃だったので。でも、結果は『結婚するなら二度と顔を見せるな』と門前払い。彼は父の完全に拒否するような態度に引いていました。父からは近所に知られたくないとすぐに帰れとも言われて、結局それ以来会えないまま入籍をしました」
【すべて推測で決めつけていたのは私。次ページに続きます】