大学生になってもアルバイト禁止に門限があった
父親の意向もあって、県内の大学に進学。もちろん実家で暮らし続けることになり、アルバイトも禁止で門限も20時。周囲から浮いた存在になっていたと当時を振り返ります。
「大学はできれば県外に出たかったんですけど、行かせてもらえただけ。それよりも門限とアルバイト禁止がきつかったですね。門限は仲の良い子にしか言っていませんでしたが、『お嬢様でもないのにあの子の家おかしい』って思われていたでしょうね。20時なんかだと飲み会なんて全く参加できませんから。3年のときにやっと21時になったんですけど、帰ってくるまで晩ご飯を待たれることがきつかったです。
アルバイトは禁止で、お小遣いは1万円をもらっていたんですが、それでは足りなかった。何か欲しいものがあるときは父親にこういう理由でお金が欲しいと伝えなければいけませんでした。大学の講義で必要な本(教科書以外)などは買ってくれるので、その本の中古を私は買い、新品を買った友人からレシートを貰って差額をお小遣いの足しにしていましたね(苦笑)」
大学を卒業後はどうしても父親の傘下から離れたかった思いから大阪市内にある企業に就職。当時一人暮らしをするお金がなかった真子さんは父親に借金をする形で家を出ます。就職してからは毎月の返済額2万円が大きくのしかかり、生活は苦しかったそう。しかしそれでも大阪での生活は楽しかったとのこと。
「就職は隣県ではもしかしたら新幹線通勤とか言い出しそうだったので、少し遠くを選びました。就職活動中では建前として県内の企業も活動していましたが、まったく力を入れずに落ち続けたのです。そんな私を見て、両親は決まらなかったらどうしようと世間体を気にしていたんだと思います。大阪でも決まったことをとりあえず喜んでくれましたから。
就職が決まると同時に一人暮らしが決まり、私はアルバイト禁止で貯金もまったくなかったことから親に借金をしてアパートを借りることになりました。建築系の企業の事務だったので、当時手取りは月17万ほどで家賃は5万弱。親への返済を考えるとギリギリでした。でも、それでも家を出たかったのです」
実家を離れて暮らして人生初の彼氏ができます。その彼との結婚で、両親から嫌われていたという思いに確信を持ったそうですが、実際は……。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。