仕事人でもある妻は、他人に対する配慮をおこたらなかった
奥様は、ウソをつかず、人を傷つけず、余計な忖度をしない女性で、男女ともに人気があったという。
「結婚してわかったことは、私や娘に対しては、ズバズバものを言うけれど、他人に対しては配慮を忘れない人だった。以前、部下とのやり取りを電話で聞いていたんだけれど、おそらく、相手の部下は見積もりをとることを面倒くさがっていた。私だったら『黙って見積もりを取れ』と指示するところですが、妻は『うんうん、わかった。まあ、念のために両方見積もりもらってよ、忙しいところ悪いわね』などと言っていました」
どんなことがあっても「他人様は傷つけない」と言うのが奥様の口癖だった。
「実家が商売をしていたから、敵を作らない方法を親から叩き込まれたんでしょうね。しつけもやかましい家で、結婚を報告した時『順序が逆だろ』とお義父さんから殴られたのもいい思い出です。その後は私のことを実の息子のように接してくれて、『則夫、あいつは気が弱いから、支えてやってくれ』と言われました。それなのに、私は妻に守られてばかりだった」
則夫さんもおしゃれであか抜けている。ぽっちゃりとした体形に、50年代風のボーリングシャツとデニムが似合っている。聞けば東京都福生市出身だという。生まれ育った当時は、アメリカ軍人が街を闊歩し、洋楽が街に流れていた。そんな“憧れのアメリカ”の雰囲気を感じながら多感な時期を過ごした。
「妻も私も洋楽が好きで、『FEN』(Far East Networkの略・米軍極東放送網)や『ベストヒットUSA』なんかのラジオを聞いて、あれこれ音楽談義をしていた。あれほど、ツーと言えばカーと答えてくれる女性はいないと思う」
則夫さんは一度だけ浮気をしたことがある。
「あれは38歳の時、8歳年下の部下にクラっときて、一時期は相手のアパートで終電まで過ごし、『仕事だ』と言って、わざと不機嫌な顔をして深夜に帰宅したこともあった。妻はきっと勘づいていたけれど、黙っていた。余計なことを言わないんだ。きっと我慢をしていたんだと思う」
結婚してから夫婦の危機は他にもいろいろあった。多忙によるすれ違い、娘の進学問題、則夫さんの転職、親族の借金や介護問題……数えたらきりがないという。
「いろいろあったけれど、妻が50歳の誕生日の夜から、夫婦で晩酌をするようになった。1日の終わりにお酒を飲みながら、くだらない話を聞いてくれる存在は、本当にありがたいと、今では思います」
【亡くなってから3年間、妻の遺影に晩酌している……後編に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(小学館新書)がある。