取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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千葉県浦安市に住む山田里枝さん(仮名・78歳・無職)は、2浪以降、30年間引きこもっている息子(50歳)を年金で養っている。
【これまでの経緯はその1で】
昼夜逆転、夜中に散歩に出かける
30年間、引きこもりをしているというが、息子はどのような生活をしているのだろうか。
「完全に引きこもっているのではなく、私たちが寝た頃に外に出て、散歩をしたり、雑誌を買ったりしていました。25歳くらいまでは、ほとんど顔を合わせないように暮らしていたんですが、30歳くらいになると息子も開き直ったんでしょうね。たまに顔を合わせるようになりました。主人に“パソコンで仕事をするから”と言い、パソコンを買ってもらってからは、部屋からほとんど出てこなくなりました」
食事は夕飯だけは里枝さんが廊下に置いておく。それ以外の食事は、息子が夜中にキッチンに行き、あるものをピックアップして食べているようだという。
「お風呂は好きみたいで、夜中に入っていますね。体も太っているというのではなく、いたって普通。白髪の青白いおじさんですけどね。お酒も飲まないし、タバコもやらない。浪人2年生のときのまま、時間が止まっているんです」
そう言いながら、当時のことを思い出したのか涙ぐんでいた。里枝さんと夫は、引きこもりを続ける息子に手をこまねいていたわけではない。
「最初の頃は、主人が無理やり息子の部屋に入ったのです。“オマエは生きている資格がない”って、ロン毛っていうの? 息子の髪の毛をつかんで殴ろうとした。すると、息子は火が付いたように暴れて、自殺しようとしたんです。それを止めようとして、私は息子に突き飛ばされて腕の骨にひびが入りましたからね。それで主人は、強行突破はダメだと思い、ドアの前に座って、自分の思いを語ったんです。“俺も頑張ったからここまで来た”とか、“世間に恥ずかしくない人生を送ってほしい”とか。そのうちに主人は諦め、それ以上に仕事に打ち込むようになった。主人が帰ってこない方が、家が平和。息子も部屋から出てきて、ソファに座ることもありました」
社会と関係を断つ息子を養う生活。夜中に目が覚めて焦燥感に駆られ、ご祈祷をお願いしたこともあったという。息子が30歳までの10年間はホントに辛かったという。
「外に出ると、よその子は仕事をしたり、結婚したりしている。息子より勉強ができなかった子が活躍している。いろいろ辛くなって、今のマンションに引っ越したんです」
それまで住んでいたのは、中古住宅で近所の目もあった。しかし、マンションは匿名性が高い。
「引っ越しは息子が33歳くらいの時です。新しい街に住めば、アルバイトくらいはするだろうと思っていたのですが、甘かった。もうちょっと早ければよかったんですけど、主人が“人は地面に足をつけて生活をすれば間違いがない”って言うから、手遅れになってしまった」
【引きこもりをしていると、あっという間に歳月が経つ。次ページに続きます】