取材・文/ふじのあやこ

【家族のかたち】母親とは血がつながっているだけ。うまくやれない気持ちを認められた時、母への執着はなくなった~その2~

時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も子供を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。【~その1~はコチラ】

今回お話を伺ったのは、都内にある企業で正社員として働いている祥子さん(仮名・38歳)。祥子さんは埼玉県出身で、両親との3人家族。小学生の頃は母親と仲が良かったものの、徐々に祥子さんをライバル視してくるようになり……。

「私に向けられる、父を取られたくないヤキモチもそうですが、ブラジャーのことなど、父方の祖父母を頼るようになっていったのが母親は気に入らなかったんだと思います。でも、私もそんな母親と一緒に生活するのは限界で、また祖父母を頼ってしまいました」

助けてくれたのは祖父母。引越しの日も母親は出かけており、顔を会わすことはなかった

祥子さんは少し隠しながらも、家に居たくないこと、居候させてもらいたいことを祖父母に話します。そして祥子さんがいない時に家族会議が行われ、高校生から祖父母の家での生活が始まります。

「自分が母親からライバル視されていることは言いませんでした。でも、折り合いが悪いこと、顔を合わせればケンカになり、距離感が掴めないと祖父母に言いました。父親には2人で話したことがバレると母親との火種を増やしてしまうことになるので、父が役に立たないと思ったわけではないです。

祖父母はすごく親身になって話を聞いてくれました。祖父母の家は徒歩圏内だったので、進学を希望していた高校からも実家と同じように通えました。高校進学をきっかけに、家を出るならこのタイミングしかないと思って、中学3年の冬に話しました。でも、考えていたのは中学3年になった頃ぐらいから。1年間はその日だけを目標に頑張っていた感じです」

引越しは祖父母の配慮で父親には頼まずに、徒歩圏内でも業者に頼んだと言います。

「両親と祖父母の話し合いには私は参加していませんが、その後引越しが決まり、その数か月間は引っ越しこそしていないものの祖父母の家でほとんどの時間を過ごしていました。父親はたまに顔を見せてくれましたが、母親は一度も来ていません。また、引越しの日には母は出かけていました。どこに行ったかは知りません。家を出る時には挨拶をしなければいけないのかなと少し嫌な気持ちがあったので、ホッとしたのを覚えています」

【そのままでいいと認めてくれたのは夫だった。次ページに続きます】

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