取材・文/ふじのあやこ
時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も子供を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。
【~その1~はコチラ】
今回お話を伺ったのは、関西の企業で働いている彰浩さん(仮名・36歳)。彰浩さんは兵庫県出身で母親と4歳下に妹のいる3人家族で、彰浩さんが中学生の時に両親は離婚。父親とは数か月に1度のペースで会うようになりますが、友人との遊びや彼女との付き合いを優先し、父親との約束を断る機会が増えていきます。
「高校生にもなると、一緒に暮らしていても両親と行動している友人なんて周りにいませんでした。部活にアルバイト、それに彼女もできて。毎日が自分のことで精一杯。父親との時間なんてまったく考えていませんでした」
「大学は行くこと」。メールに書かれた文字で進学の罪悪感を消すことができた
高校を卒業後は大阪府内の大学へ進学。高校卒業後は働くことも一度は考えたそうですが両親の了解も得て大学進学することができ、ホッとした記憶が残っていると言います。
「長男で、母子家庭となると就職が正しいんだろうなと。でも通っていた高校は県ではそこそこの進学校で、就職する生徒は数パーセントぐらいでした。友人と違う行動をしたくないというか、正直なところ、まだまだ就職したくありませんでした。そんな気持ちを知ってか、両親ともに進学を勧めてくれました。その頃にはまったく父親と会っていなかったけど、メールはしていたんです。そこには『大学は行くこと』と義務のように書いてあって。当然のようにしてくれたことで罪悪感なく進学を希望することができました。今思うとお金も父親が出してくれていたんじゃないかな。母親は就職することなくパート勤務を続けていたから家は絶対裕福じゃなかったと思うんです。でも、貧乏だと感じたこともなかったから」
無事大学を卒業した彰浩さんは府内の飲食店を運営する企業で働き始め、一人暮らしをスタート。そして26歳の時に大学から付き合っていた同い年の女性と結婚します。
「一人暮らしは自分で決めました。でも、母親と妹の仲が良くて、大学時代から仲間外れにされて2人で旅行に行くなどされていたので、僕が家を出ることに2人ともまったく動じていませんでしたね(苦笑)。一人暮らしといっても大学から付き合っていた彼女と最初から同棲することになるんです。彼女は大学の同級生で1年の夏あたりから付き合っていました。7年間という長期間の交際を経て、入籍しました」
【自身も離婚後は子供と離れて暮らすように…。次ページに続きます】