妊娠後も働き続ける私に対して、義母は「休むことが仕事」と言った
薫さんは実家から通える距離の私立大学を卒業後に、化粧品や雑貨などの製造販売を行うブランドの販売スタッフとして働き始めます。その後ネイルスクールに通い、ネイルサロンに再就職します。旦那さまとは、スクールに通いながらフリーターをしていた時期に、飲み会で知り合ったと言います。
「合コンです。一応結婚式では知人の紹介で知り合ったとなっていますけど。第一印象なんてまったく覚えていなくて、何度か誘われて遊んでいるうちに付き合うことになり、そのまま結婚という感じですかね。付き合った期間は3年ほどで、結婚の意志をお互い固めてからは8か月ほど一緒に暮らしていました。同い年で、彼が30歳になる直前に籍を入れました。彼も大阪府内出身だったんですけど、出会った頃から夫は一人で勝手に実家に帰るだけだったので、義両親に最初に会ったのは結婚のご挨拶のときでした」
義母には、実の母親に似ているという第一印象を抱いたんだそう。
「もう最初からグイグイ来る感じ、そっくりでした。私が結婚する2年ほど前に兄が結婚していたんですが、兄嫁はこんな風に戸惑っていたんじゃないかなって思いました(苦笑)。でも、受け入れてくれている感じは嬉しかったし、フレンドリーな人への対応には慣れているつもりでしたから」
結婚式も無事終わり、その2か月後に妊娠が発覚。多少の体調の変化があったもののネイリストとして働き続けたと言います。それについて義母からは心配という建前で注文を言い続けられたとか。
「多少の食べづわりがあったものの、働けないほどの体調不良はありがたいことになくて、ネイリストの仕事を休みたくなかったし、産後はしばらく働けなくなるだろうからできる限りお金を貯めておきたかったこともありました。結婚してすぐの妊娠で、私たち夫婦にはあまり貯金がなかったので。
しかし義母は顔を合わせる度に『いつ辞めるの?』『休むことこそが仕事』と言い続けられました。結果、予定よりも3か月ほど早く仕事を休むことにしたんですが、それがおデブへの第一歩だったのかもしれません」
妊娠中は甘やかすだけ甘やかされ、産後は一転痩せろと言われ続ける日々。家族で食べるお菓子が私には回ってこない……。【その2に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。